ありあけの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし 百人一首

概要

壬生 忠岑(みぶ の ただみね)は、平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。

系譜

『三十六人歌仙伝』では「先祖不見」とあり、不明であるとするのが穏当とされる[1]。子におなじく三十六歌仙の一人である壬生忠見がいる。

経歴

身分の低い下級武官であったが、歌人としては一流と賞されており、『古今和歌集』の撰者として抜擢された。官人としては、定外膳部、六位・摂津権大目に叙せられたことが『古今和歌集目録』にみえるが、『歌仙伝』『忠見集』などの記載によれば、これらの官職についたのは息子の忠見であったらしく、『目録』の記載は疑わしいとされる[1]。確実なのは『古今和歌集』「仮名序」をはじめ、諸史料にみえる右衛門府生への任官だけである。

また、『大和物語』によると藤原定国の随身であったという。


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Last-modified: 2023-06-12 (月) 12:25:01