嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな 百人一首
俗名を佐藤義清(のりきよ)。鳥羽上皇に北面の武士として仕えていましたが、23歳の時に家庭と職を捨てて出家、京都・嵯峨のあたりに庵をかまえ西行と号しました。
出家後は、陸奥(東北地方)や四国・中国などを旅して数々の歌を詠み、漂泊の歌人として知られます。歌集に「山家集」があり、また彼の一生は「西行物語」に詳しく語られています。
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