みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ 百人一首

概要

大中臣能宣(おおなかとみ の よしのぶ)は、平安時代中期の貴族・歌人。神祇大副・大中臣頼基の子。官位は正四位下・祭主・神祇大副。三十六歌仙の一人。

経歴

天延元年(973年)伊勢神宮祭主、寛和2年(986年)正四位下に叙位。

天暦5年(951年)梨壺の五人の一人に選ばれて和歌所寄人となり、『万葉集』の訓読と、『後撰和歌集』の撰集にあたった。冷泉天皇・円融天皇の大嘗会和歌を詠進したほか、円融天皇・花山天皇に家集を召されている。また歌合や屏風歌の制作でも活躍し、母娘二代の伊勢斎宮となった徽子女王・規子内親王家にも出入りした。

『拾遺和歌集』(59首)以下の勅撰和歌集に124首が入集[1]。家集に『能宣集』がある


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Last-modified: 2023-07-03 (月) 20:02:03