長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ 百人一首
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人。この女房名の前に前斎院六条(さきのさいいんのろくじょう)と呼ばれていた一時期もある。女房三十六歌仙・中古六歌仙の一人。父は神祇伯 源顕仲。姉妹に、顕仲卿女(重通妾)、大夫典侍、上西門院兵衛がいる。
白河院皇女で斎院を退いた二条大宮令子内親王に出仕、六条と呼ばれた。後に鳥羽天皇の中宮・待賢門院藤原璋子に出仕し、堀川[* 3]と呼ばれるようになった。康治元年(1142年)、主人・璋子の落飾に従い、同僚の待賢門院中納言と共に出家している。少なくとも一度は結婚したらしいが、夫とは死別。『金葉和歌集』以降の勅撰集、歌合等の他、家集『待賢門院堀河集』にも作品を残している。