ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは 百人一首

在原業平(ありわら の なりひら)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。

六歌仙・三十六歌仙の一人。別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる[1]。

全百二十五段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。

出自

父は平城天皇の第一皇子・阿保親王、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王で、業平は父方をたどれば平城天皇の孫・桓武天皇の曾孫であり、母方をたどれば桓武天皇の孫にあたる。血筋からすれば非常に高貴な身分だが、薬子の変により皇統が嵯峨天皇の子孫へ移っていたこともあり、天長3年(826年)に父・阿保親王の上表によって臣籍降下し、兄・行平らと共に在原朝臣姓を名乗る。


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Last-modified: 2023-09-07 (木) 08:51:17