浅間山荘事件でのカップヌードルの話。
マイナス15度にまで気温が低下する冬の軽井沢では隊員に支給された弁当は凍ってしまった。地元住民が炊き出しを行って温かい食事を提供したというエピソードが残っているが、その炊き出しにありつけたのは外周を警備していた長野県警の隊員のみで、最前線の警視庁隊員には、相変わらず凍った弁当しか支給できなかった。
そこで当時販売が開始されたばかりの日清カップヌードルが隊員に配給された。カップヌードルは手軽に調達・調理ができ、寒い中で長期の勤務にあたる隊員の士気向上にも役立った。テレビ中継で美味しそうにカップヌードルを頬張る隊員の様子が全国放送されたことから、商品の知名度が向上。販売開始の1971年度には2億円の売上だったのが1972年には67億円の売上を叩き出している。
余談だが、警視庁機動隊は「警視庁が購入し警視庁の隊員が水を汲んで運び警視庁のキッチンカーで湯を沸かして調理した」として、長野県警の隊員にカップヌードルを一個もあげなかった。このため、警視庁と長野県警の間に軋轢を生んだという。 もっとも、長野県警の隊員たちは住民が作った出来立ての食事を食べていたので当たり前といえば当たり前である。
なお、カップヌードルと浅間山荘事件の件はしばしば都市伝説と言われるが事実である。日清食品のホームページにも記述がみられる。
そして、「カップヌードル」の人気を決定づける出来事がおこりました。1972年2月、連合赤軍によるあさま山荘事件です。この事件は連日テレビで中継され、山荘を取り囲む警視庁機動隊員が「カップヌードル」を食べている様子が映し出されました。思いがけず全国の視聴者にアピールすることになり、その時から「カップヌードル」は羽が生えたように売れ出したのです。
オフィシャル情報でもあり、間違いないでしょう。