八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり 百人一首
恵慶法師(えぎょうほうし。生没年不祥、10世紀頃の人)。
播磨国(兵庫県)の講師(こうじ=国の僧侶らの監督)だったらしい。清原元輔、大仲臣能宣、平兼盛らの一流歌人と親交を結んでいた。
詞書には「河原院にて、荒れたる宿に秋来るといふ心を、人々詠み侍りけるに」とあります。このように、歌人たちが集まって同じ題で詠み合った歌を「題詠歌」といいます。
つる草がぼうぼうに生い茂るさびれた家。そこには誰も訪れる人はいない。それでも季節だけは移り変わっていくのだなあ、という内容の歌です。
定家たちが編んだ「古今集」によって、はじめて「秋は寂寞の季節」というイメージが作られました。秋は紅葉を愛でる楽しいだけの季節ではないという、繊細な感覚ですね。そんな情趣を、如実に表したのがこの歌だといえるでしょう。
河原院は、京の東六条に源融(みなもとのとおる・9世紀の歌人で百人一首にも歌がある)が作った豪邸。奥羽の塩釜を模した大庭園で有名でした。しかし、恵慶の時代には荒れ果て、融の曾孫にあたる安法法師が住んで、廃園を好む歌人たちがよく訪れていたそうです。
河原院のあった場所は、京都の北東、鴨川のほとりの五条大橋の近辺でした。今は遺跡として、大橋のたもとに標識が立っています。すでに恵慶の時代に、廃園として滅びの美学の象徴としてあった河原院。千年以上の時を経た私たちの時代からは、その痕跡を見るだけですが、歌を詠んだ恵慶、さらに幽玄の心からこの歌を選んだ定家の心持ちが、かすかに伝わってくるような気が、しないでしょうか。