はじめての千葉周遊

はじめに

 日本国千葉県。
 なぜだか軽視される東京とお隣にある県。気候よし、凄いものよし、まったり感よしのアンチームかつマニアックな東京近郊の素晴らしい遊び場。林道天国にして隧道天国あるいは魔境。
 ついでに言うと、ワイロ天国だという噂もある。違法のはずの病院への(治療代とは別の)付け届けをするのが当たり前の地域すらあるという薄ら寒い話すらも聞いた事がある。まさか今のネタではないと思うが……。
 これほど様々なネタに事欠かない楽しげな土地であるにも関わらず、今まで歴訪した事が全くなかった土地、千葉。日本一周の時に通過しただけで、まじめに観光した事など一度もなかったのだ。
 そんなわけで 「じゃあ、ぐるりとまず海岸線を回ってみるか」 という事にした。

ルート

 今回はピンポイントではないので、文章でルートを示す。箇条書きである。

 ……なんだこりゃ長え。これでも抄録なのだが。
 道理で470km以上もあったわけだ。しめて13時間(休憩含む。有料道路一ヶ所含む、高速は通らず)。この距離を一般道、しかも半分は狭道(きょうろ)。走りごたえはあった。

起点~国道356号線へ

 いつものように出発したが、すぐに「どうやら自分はもっと東側に来なきゃいけないようだ」と気づく。あっさりと迷ってしまい、何とか六号線にたどり着いたが情けないミスを乱発してしまった。とにかく活動を開始する。

 毎度の事だが深夜だ。急ぐ旅路でもなし、朝までに銚子にたどり着く事だけを念頭に、まずは茨城との県境に限りなく近い利根川を目指す。国道356号線を走ろうというわけだ。

 途中、予想外に寒くなったので手元だけハンドルカバーを取り付ける。カッパやオーバーパンツはなし。

 全くの余談だがこのオーバーパンツ。一度全く履けなくなっていたにも関わらず、先日履いたら普通に履けて驚いたのをよく覚えている。まぁ、ズボン類がみんな一時期よりワンサイズ小さくなった事といい、着実に昔に戻りつつあるらしい。

 戻らないものはもう戻らない。だが、そうでないものは元の姿へと向かっているのだ。

 分岐を発見。ただちに国道356号に入り込んだ。我孫子市の市街を通るのでそちらを勘案すると万が一迷っても探しやすい。

利根川下り

まだ暗かった。

 古い友人のひとりは国道148号線・糸魚川街道を姫川下りと優雅に呼んだが、この道の印象はまさに『利根川下り』である。

 というよりむしろ、利根川近くを通る道をつないで国道指定した感じだ。おかげさまで国道356号は実に変化に富み、さまざまな表情を楽しめる道となっている。川沿いは快走派、市街地はまったり細道派にお勧めである。私のような房総初心者にしてみれば、房総半島特有の土質や岩石をしっかり見られる道でもあった。

 そんなこんなを繰り返しつつ、道は利根川にそって犬吠埼を目指した。

銚子にて

夜間装備パージポイント。遠くで風力発電が回っている

灯台に向かう途中で記念撮影。どうかな

 銚子にてすっかり夜が明ける。漁港に入り込み、夜間外装(ハンドルカバー)をパージ。この気温ならもういらないだろう。かじかんだままの両手をゆっくりと温めるが、芯まで冷えていたようで感覚がなかなか戻らない。

 とりあえず手が動いたので、犬吠埼灯台を目指す。

 朝の七時とあって地元のバイク以外はほとんどいない。ここでお茶を飲みつつ両手の完全回復を試みた。日差しが照り始めた事と熱い飲み物を入れた事で体温があがったのだろう。指先の感覚がゆっくりと、しかし確実に取り戻された。

 どうやらあのハンドルカバーは限界らしい。何年も使ってるからなぁ。

 それともグリップヒーターをつけるべきか。ETC装着時に考えるのもいいかもしれないな。そんなこんなを考えているうちにすっかり昼間シフトへ。

 徹夜ならそろそろ眠くなるのだけどちゃんと寝ているから問題ない。さてと県道づたいに海岸線沿いに走り出した。

犬吠埼灯台。つぶやきも入れる

うっかり純地元道に迷い込む

 県道ぞいにギリギリまで走り国道126号線は拒否するのがおすすめである。このへんは海沿いの直線路が続き、スワ北海道かというくらいに眺めのいいエリアなのだ。海果つる房総のいい海岸線も楽しめる。平地のあまりない土地に生まれ育った者としては、程よく異国情緒を味わいつつなぜか懐かしさもミックスされているという、ちょっぴりうれしい空間だったりする。

 ……まぁ、牛の匂いが結構するのも北海道的なのだけど。何しろ道沿いでどばーんと飼ってますからね。道路に出ないよう囲ってるけど、立ってみると見える見えるw 肉牛ですなwww んもー XD

 平野・牛・直線道路、遠くに巨大な風車群。すごい景色だ……こんなもん携帯のレンズにゃ収まらねえぞ。カメラと思ったけどムービーカメラかねえ。

 国道126号に入ったが、完全に朝であり逃げ場なしの渋滞がもう始まりそうになっている。なので、県道30号に早々に逃げ込もうと探しはじめる。

 ここらで海岸沿いに出られるかなーと思って出てみたんだが、

うはは XD

 そもそもアプローチ道の時点で車幅ギリギリだし農家の軒先などを通過する生活道でした XD ごめんなさい

 だけど、GPS携帯と地図で確認すると、この道から県道30号に直接入り込めそう。時間がないのでそこまでは探索しなかったけど、それでも県道30号分岐のいっこ手前まではその道で移動する事ができた。

 舗装路とは名ばかりのセメント道もあったけど、国道や県道を目指すような道は少なくとも市道なので、最低限の舗装はされているようです。ふむ、今後の房総探索の参考になりますね。

 ん~しかしカブが欲しいなぁ。こういう探索にはやはりカブが無敵です。小回りもきくし何より、地元民へのインパクトが最小ですみます。 道を尋ねたり宿探しする時の態度があからさまに違いますもの。 道は人が作ったもの。一番詳しいのはやはり地元の人間なので、ひとに訊きやすいというのは捨てがたいメリットだ。

 人間、やはり外見は大切なのです。

漢一匹、九十九里浜

 県道30号に入り、まったりと南下します。

 このあたりは完全にはじめての土地です。日本一周の後半、川崎から木更津にフェリーで渡って銚子市に移動しているのですが、もうどんな経路を辿ったかなんて覚えてない。当たり前か、18年も昔だからなぁ。おそらくは国道126号で利根川を渡ったのだろうと思いますが。辿ってみようにも道ももう違うし、川崎~木更津のフェリーに至っては潰れてしまって存在すらしないありさま。時代はもう違うのです。

 とにかく南下南下。なんかあったかくなってきたら腹減ったかも。うるせー進むぞ。

九十九里有料道路にて。なんで原付禁止?200円。

ひとのいるところで自分のバイクを撮るのは寂しい証拠です。

 バイクだって少しはいるんですが、会話ありませんねえ。時代のせいなのか、それとも人間のせいなのか。

 私自身にもどこか、ひとを寄せ付けない陰気があるのかもしれません。穴蔵生活が長すぎたかもしれないなぁ。

 まぁいい、とにかく今は走ろう。

古隧道の逆兵糧攻め

ふむ。旧隧道を歩道トンネルにしてあるのか。

おお。また同じか。

……ぉ orz

 ちょっとまて!いったいいくつ続くんだ!(激汗

 隧道天国と聞いていたが、それどころの話じゃない。 ちょっと信号待ちで止まるだけで、ふと目を回しただけで四つも五つも隧道が見える事すらある(泣)

 こんなのいちいち来訪し、撮影してたら家に帰り着くのは来月になっちまう orz いやそれでも終わらないかも orz

 というわけで、次回探索に回す事にして今は走る事にする。

  うわぁぁ、またあった!げ、あの集落に降りるとこの隧道、大正ものじゃないか?うわぁぁぁ、そこにも!!

 ……み、見てない見てない><;;;

おせんころがし旧道

  おせんころがし という南総の名所を知っているだろうか?異説もあるが、おせんという娘が海に落とされ死んだ。そういう伝説のある土地だ。

 房総半島は山こそ緩やかにして穏やかであるが、特に東側の風景は間違いなく侵食、あるいは沈降により生じた断崖地形だ。少なくとも、利根川などの河川の力で東京海が埋め立てられ富士山の火山灰にまみれて関東平野になるくらいの時間は洗われ続けたのだろう。その地形は人間の文明をあくまで拒む方向にできている。

 そのような歴史的事情のせいだろう。南総のこの地域も急峻ではないものの山と海しかない。 大沢 という集落があるものの、それ以外は山ばかりだ。

 ……が、大沢集落の入り口からは旧道が伸びている。

 なんだろう。本来走る予定もなく「見れたらいいな」程度のつもりもなかったのに、まるで誘うように吸い込まれてしまった……。

なんつーとこに道を作るんだよ。すげえ……。

 どうやら大昔からの古道を元にしているらしく、激しくうねり曲がりくねっている。

 崖の途中に道なんて今なら絶対やらないアプローチ(実際、現道は山中をトンネルでブチ抜けている)。間違いなくこれは古来からの古道を拡張し車道としたものだろう。

 本当に 昭和44年まで国道410号線 だったのかこれ?すげえなぁ。

 けど、当時の国道194号線や439号、いや今まで見てきた甲州街道や旧笹子隧道を見れば不思議ではないとわかる。日本全土の国道は元々、こんな姿の古道ベースの道ばかりだったんだ。

 こうして見ると、戦後の道路行政を一概に責めるのがお門違いというのがよくわかる。

 まだまだ国道439号線の京柱峠区間やこの旧道のような道がたくさんある以上、新しい道を造る、あるいは維持する事をなぜためらう?そこに道を欲する人がいるのに?放っておけば崩壊していく日本中の道を助けるための予算をなぜケチる?

 ひとの往来は国の基本だろう。大規模の車道にするかどうかはともかく、道自体がなくなって分断されてしまっては国が成り立たないのだ。

 ……いやいや待て。今はうんちくを語る時ではない。

単にバイクを止めただけ。なのに視界の向こうは海! (滝汗

 ちなみにこの先、ガードレールもコンクリの塊みたいな異様なものに変わる。というか、このガードレール自体、まるで 「これくらいしか使えないのよ。道崩れるから orz」 と言わんばかりだ。

 おそらく数年か十数年か先、何か所かで致命的な崩壊が起きて車両通行止めになるだろう。保全がなされるならいいのだが……いや、見に行くなら今のうちです。

小湊隧道

 旧道の南側出口(正しくは、海岸沿いから引っ込むだけで新道への接続にはかなり距離があるが)にこの隧道があった。

山いがの記事は忘れていたので「おお」と思った。

 Webのデータによると昭和14年竣工となっているようだ。

 しかし、山いがによると 明治35年の古地図にも載っている らしい。ならば今までのパターンからして、おそらく昭和のは拡張工事であろう。当時は馬車道サイズか人道サイズだったのに違いない。

 しかし、なんとなく最近「あ、隧道かな」と思ったら本当に隧道が見つかるようになりつつある気が(汗 にわか隧道好きの私がこうなるくらいだから、歴戦の大サイトの人たちは凄いんだろうなぁ。

 類似の事は過去にもあった。石垣島での事なんだけど、毎日海に入っていると次第に獲物のありかが見えるようになってくる。「目が慣れる」という事なんだろう。

中身は素彫りコンクリ吹き付け。例によって前後はコンクリ固め

陸側にはぼろいがロックシェード。

しかしその内側の坑口はひどい。身も蓋もない修理跡だな(汗

 ここから現道に戻れるが……長い。こちら側からのアプローチは少しわかりづらいかも。個人的には北側からをお勧めします。大沢集落の北側から、おせんころがしの碑まで旧道(廃道になっている)を歩くなんて変態魔王(でんせつのゆうしゃ)以外は。

野島崎通過

 バイクと車だらけだ。面白いところでなし「やってきた」と景色を目に焼き付けただけで通過。

 この先にサーファーむけの設備や、まるで場違いな宮殿みたいな温泉があったりして目が点になるかもしれない。だがインパクトがあっても面白いものではないので通過通過。まぁ、あの温泉は見て笑えるかもしれないが。

 施設の駐車場ではラジオを流していた。中島みゆきが普通にラジオでしゃべっている。ゲストらしい。なぜか寂しい気がした。

隧道辻を探せ!

 南総は素晴らしい土地であり、見てまわるにはあまりにも時間がなさすぎた。今はとにかく走った。帰り着くために。

 さて、今回わざわざ房総半島を遠回りするようなコースを選んだ理由にはもう一つあった。以前どこかのサイトで見た隧道の辻にたどり着くことだ。そこには神社と巨大な隧道があり、さらには地図にも載ってない古い明治隧道もあるという。しかも崩落したものでなく、すべて(ひとつは道路がつながってないのでダメだが)通れるというのだ。

 詳しいデータがあるわけでなく、おそらくたどり着けないと思っていたのだが……。

 富津市竹岡。明鐘岬近く、国道127号線は新城山トンネルの近くにはそれはある。

 あまり近づかない方がいいかもしれない。車道で接近できるところは一ヶ所だけだし、万人ウェルカムという雰囲気でもないと思う。探せば容易に発見は可能だけど、入り口の雰囲気に怖気づいたら無理せず引き上げてほしい。それがあなたのためだ。

 まず、ひとつめの隧道。これが入り口だ。

隧道(#1)

海側の坑口。マジ素彫り

山側の坑口。

 短い隧道なのに異様に中央が高くなっている。いわゆる(おが)勾配(こうばい)という奴だと思うが……サミットにしても異様。しかし現地にいけば理由はすぐわかる。

 なんと、JR内房線・灯籠坂隧道(名称はネット調査したものです)の真上をこの隧道は横切っているのだ。隧道の立体交差か!床が薄そうで不気味……。

壁の模様は岩盤そのもの。さすが房総だなぁ!

 他の隧道もそうなんだけど、房総半島の岩盤は本当になんて素晴らしいんだろう。

 隧道天国と言われるのもむしろ当然だ。頑丈そうだが削りやすそうな土質。粘土質の岩かな?ううむ。

謎の明治隧道(#2)

うげげ、こんなとこ潜れない。こわすぎ(涙)

 前も思ったけど、廃隧道サイトの管理人たちの根性にはおそれいる。

 私はバイクで入れない隧道には侵入しない主義だけど、この隧道はそれ以前におっかねえ。貫通しているし使えるとわかっていても、これはちょっと入れない。ましてやこの先が行き止まりとわかっているのだし。

 さて。そして振り返り……たくないなぁ。だって、

謎の大隧道(#3)

これだよ ^^;

中にCLを止めてみた。

ちょっとまて。いくらCLが400としてはコンパクトだからって、

えええええええ(大汗

 で、でけえ orz なんつー大きさだよこれ orz

少なくとも100%天然ではない。ひとの手が入ってる

 よそのサイトで見た時もでかいと思ったが……これは半端じゃねえなぁ。見にきた甲斐があったというものだ。

通過してみた。

でかい……(大汗

 房総にいったら一度は見たいと思っていたが……なんつーサイズだ。

 ちなみにこの隧道、国道194号線の荷瀧隧道と同じようだ。つまりこの大隧道は神社と共にあり、それがゆえにこの姿なのだ。おそらく元々この地にあったもので、ここまで巨大になったのは車を通すために掘り下げたのだと思われる。実際、この隧道には掘り下げの痕跡が見えるからだ。

推論

 この隧道群についての考察をしたい。

 まず、気になったのは神社の存在と灯籠坂(とうろうざか)隧道という鉄道トンネルの名称だ。「名前がどうした」と言われそうだが、灯籠坂という名前は古い言い方で、今風に言えば 灯籠峠 なのである。そしてこの名と周囲の地形から想像がつくのは 「昼なお暗く灯籠を灯して越えるほどの急峻なる難所」 だ。山自体は高くないのだけど、神社のある古道側の山深さからもそれを容易に想像できる。

 たぶんこの名は古いだろうと調べてみたら……あった。以下、歴史探訪系サイトの記述である。

  ちょ、 最後のそれ聞き捨てならん!(汗

 廃道系サイトでは通常、神社などの施設には入らないものだと私は思っている。実際見た事なかったわけで、だからこの手の記事は初見であった。ふうむ。

 しかし、これで私の推測もある程度裏がとれたか。

 うん、まとめてみよう。鉄道と国道の関係記事の裏付けがまだなので、かなり推測が入っているが。

 鉄道よりも国道の方が先かもしれないが、まぁ隧道の設営順序自体はそこ以外は大差ないと思う。

 つまりこのエリアには、 全部で(私が見ただけでも)六本の隧道がある ^^ 灯籠坂の掘割がかつて穴だったら七本かな?

腹ごしらえして帰宅へ

 なんか人間側のエネルギーが足りん。

よし食うぞ!

 カレーが食べたかったので、富津市のCoCo壱でチキンカツカレー辛さ五倍をもくもくと食べた。

 ふー、純粋な燃料(しせんまーぼーどうふ)のようなわけにはいかないが補充完了。

 さて帰るか。

その他

んむ、走行距離470kmというところか。

データ

 使ったお金は以下のとおり。

項目 金額
GAS 1024円 途中で給油。帰宅後にもほとんど同額を給油
飲み物 360円 お茶、コーヒー、コーンポタージュ
九十九里有料道路 200円 唯一使った道路代
グミ 108円? トイレ代。銚子で

 470km走ったら、さすがに燃料代が来るなぁ。

 といっても2000円だが。これ以上安くしようと思ったら250cc未満のバイクにするしかないだろう。