#author("2023-06-27T08:37:42+09:00","default:yakumo_murakami","yakumo_murakami") #author("2023-06-27T08:38:32+09:00","default:yakumo_murakami","yakumo_murakami") [[ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ]] [[百人一首]] * データ元 [#h1eafa06] - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%8F%8B%E5%89%87 * 概要 [#u0af05ba] 紀友則(き の とものり)は、平安時代前期の官人・歌人。宮内権少輔・紀有友(有朋)の子。官位は六位・大内記。三十六歌仙の一人。 * 経歴 [#r8a60939] 40歳過ぎまで無官であったが、和歌には巧みで多くの歌合に出詠している。寛平9年(897年)に土佐掾、翌昌泰元年(898年)に少内記、延喜4年(904年)に大内記に任ぜられる。 紀貫之(従兄弟にあたる)・壬生忠岑と共に『古今和歌集』の撰者となったが、完成を見ずに没した。『古今和歌集』巻16に友則の死を悼む貫之・忠岑の歌が収められている。 [[紀貫之]](従兄弟にあたる)・壬生忠岑と共に『古今和歌集』の撰者となったが、完成を見ずに没した。『古今和歌集』巻16に友則の死を悼む貫之・忠岑の歌が収められている。 『古今和歌集』の45首を始めとして、『後撰和歌集』『拾遺和歌集』などの勅撰和歌集に計64首入集している[1]。歌集に『智則集』がある。 * 逸話 [#kcd9ee6f] 寛平年間に禁中で行われた歌合に参加した際、友則は左列にいて「初雁」という秋の題で和歌を競うことになった。そこで「春霞かすみて往にし雁がねは今ぞ鳴くなる秋霧の上に(=春霞にかすんで飛び去った雁が、今また鳴くのが聞こえる。秋霧の上に)」と詠んだ。右列の者たちは「春霞」という初句を聞いたときに季節が違うと思って笑ったが、第二句以下の展開を聞くに及んで、逆に面目なく感じ黙り込んでしまった。そして、これが友則の出世のきっかけになったという[2]。なお、この歌は『古今和歌集』秋上では「題しらず よみ人しらず」とされている。 * 代表歌 [#s22e79fb] 「久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ」(『古今和歌集』)~ この歌は国語の教科書に広く採用されており、百人一首の中で最も有名な歌の一つである。