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[[忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな]]

右近(うこん、生没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。父は右近衛少将藤原季縄。

醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房で、元良親王・藤原敦忠・藤原師輔・藤原朝忠・源順(みなもとのしたごう)などと恋愛関係があった。960年(天徳4年)と962年(応和2年)の内裏歌合・966年(康保3年)の内裏前栽合(だいりぜんざいあわせ)などの歌合に出詠、村上天皇期の歌壇で活躍した。
醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房で、「右近」は女房名。~
元良親王・藤原敦忠・藤原師輔・藤原朝忠・源順(みなもとのしたごう)などと恋愛関係があった。960年(天徳4年)と962年(応和2年)の内裏歌合・966年(康保3年)の内裏前栽合(だいりぜんざいあわせ)などの歌合に出詠、村上天皇期の歌壇で活躍した。

『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『新勅撰和歌集』に入集している。

小倉百人一首
38番 [[忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな]](「拾遺和歌集」恋四870)
一説によると、この歌の相手は藤原敦忠と言われている。

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