#author("2023-06-06T10:23:40+09:00","default:yakumo_murakami","yakumo_murakami") #author("2023-06-06T10:24:51+09:00","default:yakumo_murakami","yakumo_murakami") [[忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな]] 右近(うこん、生没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。父は右近衛少将藤原季縄。 醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房で、元良親王・藤原敦忠・藤原師輔・藤原朝忠・源順(みなもとのしたごう)などと恋愛関係があった。960年(天徳4年)と962年(応和2年)の内裏歌合・966年(康保3年)の内裏前栽合(だいりぜんざいあわせ)などの歌合に出詠、村上天皇期の歌壇で活躍した。 醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房で、「右近」は女房名。~ 元良親王・藤原敦忠・藤原師輔・藤原朝忠・源順(みなもとのしたごう)などと恋愛関係があった。960年(天徳4年)と962年(応和2年)の内裏歌合・966年(康保3年)の内裏前栽合(だいりぜんざいあわせ)などの歌合に出詠、村上天皇期の歌壇で活躍した。 『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『新勅撰和歌集』に入集している。 小倉百人一首 38番 [[忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな]](「拾遺和歌集」恋四870) 一説によると、この歌の相手は藤原敦忠と言われている。