はじまり

  誰でもそうだろうが、長年住み慣れたアパートを追い出されるというのはやはり、一抹の寂寥感(せきりょうかん)があるものだ。

 二十世紀に建てられた古い木造ボロアパートを壊し、モダンなマンションを建てる事になったらしい。それは金儲けのため半分、老朽化し危険さえ帯び始めた建築物の撤去という事で、役所の方から言われていた事でもあるらしかった。アパートの住人にはマンション転居に際して優遇処置もとられるという事だったがそもそも、いまどき木造の階段がギシギシ鳴るような超おんぼろアパートの住人なんていうのはまぁ知れていて、すなわち超のつく貧乏人、不法滞在の外国人労働者、それに、わざわざここに住み着いている変人というのが現状だった。当然ながら誰も、超近代的なネット環境を持ち激烈に快適だが一戸建て並みに高価なマンションに移ろうなどと考えるわけもなく、転居資金だけ貰って数ヵ月のうちに退去、という事となってしまった。

「どうですか?明仁(あきひと)さん」

「ダメだな…こっちは全滅だ」

「…そうですか」

 僕と芹緒(せりお)は、かき集めた近郊の賃貸情報をあれこれひっくりかえし、どうにかなりそうな物件をかたっぱしから漁っていた。年期が入り過ぎてボロボロのちゃぶ台にはメモやらパンフの大群が積み上げられていたが、その中には僕らの住めそうな物件は何ひとつなく、じりじりと時間だけが無駄に過ぎ去っていくのだった。

「あ、ここなんか如何でしょう?とてもお安いですし」

「…そこはダメ」

「何故ですか?とてもよさそうなとこですけど」

「治安が悪い。芹緒が襲われたりしたら困るだろ?」

「…でしたら、少しかかりますが保険に破壊オプションを付けて頂ければ」

「そういう問題じゃないだろ。身体ならまだいいが頭を破壊されたりしてみろよ、復活したところで芹緒が芹緒でなくなるって事じゃないか」

「……」

「?どしたの?芹緒」

「……ありがとうございます」

 なんだか唐突にセリオは小さくおじぎをしてきた。

「なんだかよくわかんないけど…さ、続けて探そうぜ」

「はい」

 実のところ、転居できそうなアパートは結構あった。

 しかし、僕はともかく相棒である芹緒も安心して過ごせるとなると意外に難しい。治安が悪いと危険なのだ。というのも彼女はいわゆる家庭用汎用ロボット、通称メイドロボと呼ばれる存在なんだけど、まともに買えばちょっとした大型自動車なみの値段がするからだ。

 もちろん、僕も現金でポンと買ったわけではない。廃車ならぬ廃ロボとなっていた彼女をひきとり、一年近くかけて自力で修理した。最初は好奇心と転売で小銭を稼ぐつもりだったんだけど、いざ苦労して動き出すとこれが結構可愛く手放せなくなってしまったわけで、そんなわけで僕は貧乏人にもかかわらず、彼女…「来栖川(くるすがわ)HM-13型セリオ」のオーナーとなってしまった、というわけだ。

「サテライトが使えれば少しはお役にたてるのですが……申し訳ございません」

「あはは、ごめんね苦労かけて」

「とんでもない、明仁さんにはどうお礼をしても足りないほどです。至らぬのは私の方です。そのようなことはおっしゃらないでください」

 サテライトとはセリオの使うネットワーク情報システムだ。いつでもどこでも通信をして作業に必要なデータを吸い上げる。これによりセリオは「ある時はコックさん、またある時は運転手」と、まるでひと昔前のアニメの魔法少女のように、いろいろな作業のエキスパートに変身することができるという凄い代物なのだ。

 しかし、うちの芹緒はこれが壊れたままなのだ。サテライトシステムはセキュリティ問題でユニットパーツになっており、とても素人の直せる代物ではない。

 まぁ、有線でも通信できる。しかしこのアパートにはネット接続の設備がなく、僕もサテライト通信に耐えるような立派なコンピュータシステムなど持っていない。よって、どうしても必要な時はもっぱら近郊の漫画喫茶で、無理に頼んで接続させてもらっていた。

 ううむ。しかたない。

「…やっぱり、あそこにするしかないか…」

「?心当たりがあるのですか?」

「…まぁね。ひとつだけなら」

 僕は、あまり気の進まなかったひとつを書類の山の中から抜き出し、溜息をついた。


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