地図にない道

 うちの関東ツーリングマップは2009年版だ。今回の再起動の折に買ったものだからそうなるわけだが、当然ながら2008年の中盤や後半に竣工したような新しい道は記載されていない。百歩譲って建設中が関の山だろう。

 そんなわけで今回、山梨県は御坂峠の近くに新しい山越えルートがあるのに気づいた。

 山梨県道719号。川口湖畔北側から山越えし、県道36号鳥坂峠の下につながる新しい道だ。御坂の新道に匹敵するいい道でありながら、未だできたばかりでマイナー。

 もちろん行ってみる事にした。震災以降、一番遠い外出であきる野だったから、リハビリにもちょうどいいだろう。

湖畔の隧道

 うちのポリシーとして、既に共用終了している隧道と行き止まりの隧道にはいかないというのがある。今回の隧道は旧道化のおりに一方通行となり片側はサイクリングロードとなったようだが、それでもちゃんと共用されている。

 場所は湖畔北側だ。

 なお余談だが、富士湖畔というと観光地は南岸が多い。これは北側が旧市街でひとが住むため新しく観光開拓できなかったためと思われるが、逆に言えば、深く楽しみたいと思えば初心者向けの南岸はスルーせよという意味でもある。富士山本体のスバルラインと富士スカの関係と逆なのが面白い。スバルラインもまた戦後の観光開発の落とし子だから、その意味では間違ってないのだが。

扇崎隧道

 二つあるのだが前者にも寺崎隧道と読める(→調査結果、扇先隧道ではないかとの情報あり。以降、扇崎隧道と訂正する)。

 なお、銘板などは昭和29年とあるが、これは戦後の観光開発で拡張された時のものだと思われる。前後の線形しかり、オリジナルは戦前ではないか?

 この「銘板が最初の竣工でなく改良工事などで刻まれるケース」というのは世界共通のようだ。古いところではエジプト、有名なクフ王のピラミッドや周囲の建築物にも見られるらしい。これらピラミッドたちは4500年前のものと言われるが、これらも銘板などからの推測である。改築といってもピラミッドのような大型建築物なら当然大仕事であり銘板など作って誇りたいのはわかるが、できればオリジナルがいつだった等の記載も欲しいところ。

 いやまて、ここで嘆いてどうする。ここは隧道をみなくては。

昭和29年の改良工事の銘板。2200mに見えるが22.00mだと思う。

 天下第一景。富士吉田側坑口

 こういう一筆は御坂隧道などと共通。改良工事前の本来の隧道の古さがわかる。

コンクリでびっしり改良してある

たぶん細かい崩落があったんじゃないかな。このあたりは法面の補強工事も半端ないし、近郊の山道の路肩はふっかふかの土だった。そういう地盤なのだろう。

扇崎隧道。西湖側坑口。

景色の向こうにも隧道。

 あの隧道は向かって左の旧道に旧隧道がいる。拡大すると微かに見えている。行ってみる。

寺崎隧道

 こちらが、よく紹介されている寺崎隧道だと思われる。

(読めない…)富士吉田側坑口。

高さ制限4m。

 隧道の内壁高さは銘板によると4.5m。

 山梨水…んー読めない。

 書いたのは当時の山梨県知事、天野久。昭和26年から42年に敗れるまで山梨県知事で、スバルライン等にも関わっている人物のようだ。

 昔の隧道や道路などの銘には著名人の名が刻まれているケースがよくある。みかぼ林道の方には中曽根元首相の銘をみたとも聞いているし、なんと天皇陛下のお言葉が刻まれているところもあるという。まさに歴史の生き証人というわけで、ちゃらちゃらした後付けのおしゃれな観光地とは違うナニカを感じる。

中は素彫りだったようだ。

 コンクリで吹き付け補強がなされている。

ちょっと洞窟チックだが短い

昭和29年10月。

 第一もそうだが、実はこれくらいの時代に観光ブームというのがあったようで、各地で観光向けの道路開発が行われた形跡がある。ただこの旧道、どこもそうなんだけど、今走れるいわゆる酷道や険道っていうのは、大抵が現代モータリゼーション前の規格だと言える。基本的に離合ができない道というのは車道には不適格なわけで、ここから道路改良推進の必要が生じた。戦後の道路行政は元々ここからきているのだ。金かねカネは余計なおまけであって本題ではない。

 よく道路行政は叩かれる。だが決して忘れてはならない。過去の道路行政を問答無用でなじるのは間違いだ。冬は隔絶する村、馬車でしか荷物をもってこられない村。そういう土地をなくすためには道路の改善はどうしても必要だった。これもまた厳然たる事実なのだ。

 ましてレンホーのように道路の維持管理費や災害対策費を削るなんてのは言語道断である。道はナマモノなのだ。道は少しずつ削れ、歪み崩れ壊れていくもので、きちんと維持管理も定期的な補修も必要。あたりまえの話だ。

 閑話休題。

寺崎隧道。みやすい

西湖側坑口

この向こうには隧道なし。

単車に戻る途中。短いが明かりがないので隧道内はこんな感じ。

 できる事なら、こんな歩道化がされる前にきてみたかったものだ。河口湖に映える素彫りの素朴な隧道。どんなにか美しかった事だろうに。

地図にない道

 さて、いよいよここからが本題だ。

 河口湖の北側湖畔を走っていると山越えの標識が出る。さらっと出てくるので見落とさないように入ると、集落の中をさらっと走り抜けて、すぐにまわりが工事現場だけという豪快な新しい道で山めがけて突っ込んでいく。

 その果てに大きな隧道がある。道路トンネルで2km超の新品。うん、立派なもんだ。

県道719号若彦トンネル

新しい!2008年だ。

計画停電のパネル。このへんや伊豆半島は東京電力なのだ。

入り口ショット

 さすが新しいだけあって綺麗なトンネルだ。ただ交通量が増えるようなら換気システムが必要になるかもしれない。

 通り抜けてパシャッター

降りる。路肩の土は異様にふかふか。まだ固まってない?土壌が半端なく柔らかい?

 さて。帰るか。

 ちなみに、このあたりから伸びる側道があった。延々と山の中に伸びており面白そうだったが、どこかで閉じていそうな雰囲気だった事から今回は深入りしなかった。戻ってから御坂峠の近くに出る道と知ったが、やはりゲートが閉じられていそうだ。うーむ、一度見に行ってみようかな? むむむ (—;

帰りの寄り道

 少し時間があるのでどこかに寄り道しようかと考える。しかし二本ほど入り口を逃してしまったし寒いので、同じ寒いならと随分とお邪魔していない松姫峠に向かってみる事にした。ここを通り、そして以前の短いツアーで行った幻の集落を特定して帰る事に。

松姫峠

 R20から上がっていく。途中、ダムのところに休憩所があってトイレも完備されているので、そこで小用を足したあとカッパを着込み手袋を冬用にチェンジ。麓であたためて来たがやっぱり冷たいや。

 そういえば写真にとってないが、どうもこのあたりからバイパス道をこしらえているらしい。峠を登る途中、ふと谷底を見ると、とんでもないところで隧道工事していてびっくりした。すげーな人間。松姫峠を通らずに小菅村に抜けられるようになるのかな?私が生きているうちに完成してくれたら、ぜひ走りにきたいものだ。

 で、いよいよ松姫峠着。

 久しぶりの松姫峠は、前回がそうだったように今回も少しだけ陽がさし、ぽかぽかしているのにどこか肌寒かった。少し道は改良されたか?

あがってきて振り返る。

小菅側下り。

登山道入り口

あいかわらずの景色だ。 

うむ。 

いやいやいやいやちょっとまて(><)

さぁくだろう。小菅村から県道にそれて鶴峠に回る。

鶴峠

 看板はない。峠とわかるのはバス停だけという地味なたたずまい。

ほう。

バス少ない…。

 でも、こんなんでもうちの地元の田舎よりはずっとマシだ。

上野原市・西原の道の駅

 土地の名が判明。西原(さいはら)だったか。地図でみて「そうかな?」とは思っていたのだけど核心なかったんだよね。当時のハイな精神状態では覚えてなかったし。

またここに留めるとは。

看板たってる。

もののけ姫が完成してた。しかし、猪がやたらリアルなのにサンがすごく適当なのはどうしてだ ^^;

帰り

もいっこ、謎の山越えして帰りました。ニヤリ XD