車検と小さなトンネルの物語

 愛機CLは400ccである。だから車検がやってくる。

 今回の話は、その車検にまつわる物語である(嘘)。

車検がやってきた

 わがCLの五回めの車検がやってきた。今回は徹底したチェックをいつものお店にお願いしたのだけど、さらに今回はナンバー変更というイベントもついていた。

 そう。ついに因縁の横浜ナンバーを捨てる日がきたのだ!

代車に借りたスクーター『Address V100』。場所はいつもの旧吹上隧道入り口

 実は二度も転居していて本籍地に書類請求するハメになるなどトラブル続きだったが、そんな面倒な客の私にも親切に応対してくれたバイク屋の面々に感謝です。メーカー違いのややこしい客ですみませんがこれからもよろしく。

 さて、すっきりと過去の遺恨を捨てて新ナンバーに生まれ変わったCL号で、さっそく小さな隧道と山道の探索をしてみる事にしよう。

地図


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この道は何者だ?

 道志街道から藤野・相模湖方面に抜ける県道76号線。このあたりをよく走る人なら一度は走った事のある抜け道でしょう。

 以前から気になっていたのですが、道志街道から北上していくと採石場の横を抜け、トンネルひとつ通る前に一ヶ所分岐するんですよね。いかにも「この先は誰得な施設しかないよ〜」と言わんばかりで、隧道もそれほど古そうでもない。

 でもこの道ってば地図上では抜けてるんですよちゃんと。気になるじゃないっすか。

 そんなわけで行ってみました。

いや、これは 『逝く』 の間違いだから XD

網子隧道

昭和48年だけあってコンクリ固め。まだまだ朽ちるには早すぎる。

隧道(ずいどう)というのは日本ではトンネルを意味する古い言い方。明治の頃に使われ始めた言い方で、それ以前は様々な呼ばれ方をしていたのだと思われる。そんなものであるから、戦後トンネルという記法に置き換えられる事になったがこれも別に強制力があったわけではなく、神奈川県などでは近年のトンネルですらも隧道と書かれている。

 また右書きか左書きかもそうだ。戦後であっても右書きだったり戦時中の隧道でも左書きのものもある。技術的デザインもそうで、実は隧道とは大変地方色の強い土木建築物なのである。

落書きよりも巻きたてに注目。よく修理されてる

蛍光灯に内部の配線。ちと設備は古いがよく管理されてます。なかなかいい枯れ具合だ。壊されてなきゃ40年後に見たいものだ。

相模湖側坑口の向かって右側にこの銘あり。 昭和48(AD1973)年3月完成 神奈川県知事 津田文吾 書 と書いてある。

歩道は溝と兼用です。よくあるケースだ

やたら気合いの入った落書き。分岐でもあるのかと見てしまった。

北上

 この後は北上して県道517号に入り、76号に戻ったわけだが、この517に入るまでの細道がまた凄い。ただの林道だって今やもっときちんと整備されているだろう。ガードレールすらない大昔の山道が続く。舗装すらも時折簡易舗装になるし下は谷川、なかなか危ない区間だ。だが山村の雰囲気はむんむんで、その雰囲気をあてこんで作業場にしている人などもいるようだ。もちろん昔ながらの村もある。

 厳道峠の北側もそうなんだけど、こうした 隠れ里じみた山村が連続する姿こそ、おそらくこの地域の特徴 なんだと思う。道志街道ですら一般的には有名な往還や街道にはさまれた一種の裏道なのだが、このあたりはさらにその裏の裏。しかし本来はおそらく、この地域はこうした土地と道ばかりだったに違いない。

広くて路面のいいとこきたので撮影タイム。

広いなぁ。だがこの道にダンプがくるんだぜ XD

 この後はR20に出てまったりと帰った。何か所か少し混んだがR20は最近あまり混まない。麻生太郎氏の残した多くの業績のひとつだ。民主党の支配下となった今もまだ生きているのだと思う。

おしまい

ん?