新潟初挑戦、R405と伏野峠

きっかけ

 2009年の再起動以来、足跡を刻んだエリアは以下のようになっている。

 東京都、千葉県、埼玉県、栃木県(足利のみ)、群馬県、神奈川県(湘南エリア)、山梨県、静岡県、長野県、徳島県、高知県、愛媛県

 これに新潟県を加えよう、というのが今回のテーマである。
 最初にふさわしい道として、長野・新潟の県境でありR403が途中で切れている山岳道路『伏野峠』を狙う事にした。伏とはおそらく山伏の事と思われ、登山道と交差する山道がメインで交通が少ないので改修されていない、そんな道路が想像されたからだ。

ちょっぴり余談

 余談。
 実は新潟県は私にとって長野県同様に未知の多い区域だ。「日本一周ライダーのくせになんでだよ」と突っ込んでくれる方が現在の読者におられるかどうかはわからないが、念のためにその理由について書いておきます。
 まず、このあたりの山間部は日本一周時にほとんど通過していない事。かりに過去に通過していても、それは1980年代の話である事。
 日本海沿岸は当時(1990)、某国に拉致されるという噂が冗談事でなく旅人の間で広がっていて、可能な限り海岸線近くも避けていた事。これは単なる噂ではなく、いかにもなエージェントに実際に出会って逃げたというチャリダー本人に話を聞いた。
 1990年代前半から今世紀はじめにかけて、各地で旧道の改修工事が行われている。本地域も例外ではなく、移動路に使ったR117などはもし改修がなければ第一級の酷道だったろう。

 これらの推定はおそらく正しい。R117付近には旧道と思われる道が随所にあり、それはR405等と同等かそれ以上に酷な道ばかりだ。おまけに移動途中で抜けた真新しいトンネル群は、そのほとんどの竣工が1990〜1991あたりになっていた。
(これは別にR117に限らない。1バブル時代に多くの危険な酷道・険道が改修されている)
 さらに言うと、近年別のバイクで訪れた新潟県というと、糸魚川方面であって山岳部はノータッチだった事。
 とどめに、当時の私は酷道などに全く興味をもっていなかった事。
 これらの事実がゆえに、私にとってこのあたりは全く未知の領域だった。

地図


より大きな地図で 三国峠→酷道ツアー・伏野峠編 を表示

出発

 いつものように定刻・3:00過ぎに出発する。
 実は今回、R17を使ったのだが実はR17で三国峠を越えるのはたぶん人生お初である。大昔は関越トンネルしか頭になかったし、関心を持つようになってからは半日程度のプチツーリングですらできない時代に突入していたからだ。元々関東の第一級幹線道路というとメチャ混みのイメージがあったから、その意味でも避けていたわけだし。
 だが今回、乗っかってみた三時台のR17はさすがに渋滞してはいなかった。それでも結構な量の車をパスしつつしばらく北上していく。バイパスをいくつか抜けるごとに車の量は激減し、とうとう上武道路(そう書いてあった。走るのは初めてだ)に至り夜が完全に空けてくる頃には、見渡す限り誰もいないくらいに空いてきた。
 もちろんこの後、高崎で再び車の洗礼を喰らうのだが、とりあえずまったり。

 もう覚えてないくらい遠い昔なのだけど、月夜野あたりを午前二時くらいに移動していた記憶がある。もしかしたら夢の中なのかもしれないが。

 そんな記憶のせいだろうか。早朝+薄着で震え上がり、この近くのコンビニでホットコーヒーとおにぎりを確保していたら唐突に話しかけられる。ぼろぼろのフィアットに乗るおっさんだ。

「これ400?CLっていうの?」
「はい」
「あまり見ないね」
「あー、全然売れなかったそうで、だいぶ前に製造中止になったんです」
「そっか」

 このおっさん、2ストのマシンで山に行くらしい。あまりマシン単体には詳しくないようだが、ぼろいフィアットの感じといい、おそらく古いのを直して乗っているのだろう。

「どこからきたの?」
「東京です」
「今日はどこまで?」
「とりあえず三国峠越えて、その後は未定です」
「なんだツーリングか」
「はい」
 ツーリングと思われてなかったのか……まぁ箱つきだし^^;
 ちなみに未定といったのは、酷道のマイナーな峠の話とかしても通じない気がしたからだ。さらに言うとアプローチをどうするかがまだ決まっておらず、冗談でなく本当に三国峠の先は未定だった。
 なお余談。
 一般的にマニアックな趣味の場合、それを語るべき相手は同類のみにすべきだと思う。普通の奴はそんな話興味もないし聞きたくもないだろうからで、私の場合ならせいぜい 「田舎道をまったり走るの好きなんですよ。のどかだし」 とニコニコ笑って言う程度にしておいたほうがいい。これなら普通の人にも理解できるはずだし、嘘もついていない。メインディッシュについて熱く語らない事を除けば、それ自体も確かに事実だ。
 これは別にツーリングでなくともそうだ。相手がそれを聞いて興味を示すかどうか、そういう最低限の気遣いはするべきだ。我々は自分のもつ経験や情報を共有する事を良い事と考えるのでしばしばこれを忘れてしまうが、これはとても大切な事だと思う。興味のない事を熱く延々と語られたりすると、ひとはしばしば「うざい奴」と思ってしまうものだし。
(でも、そのおかげで新しい趣味を得る事もあるから個人的にはオッケーなんだよなぁ。こういうのは本当に難しい)
 閑話休題。
 ショートカット国道があってR117につながる事だけ確認し、まずは走る事にした。
「どうもー」
「おう」
 おっさんの連れがきたので挨拶して別れた。そしてその場で気づいた。
 それは、 こんなごく普通のツーリング話を行きずりの知らない人としたの、本当に久しぶりだってこと だ。
 元々私自身が「いかにもツーリングな感じ」じゃない事もあるが、今はそういう時代じゃないのかもしれない。特にオタク系らしいライダーはそうで、ひどく警戒心が強いうえに話しかけようとしても逃げてしまう。仲間うちで群れていれば熱く語るんだが。
 孤独性で会話に飢えぎみの昔のような旅人は、もうこんなところにはいないという事なのか。

三国峠

 (トンネル動画はこちら)

おお。

きたー

 三国隧道の古めかしさが泣かせる。慣れた人ならわかりますよね?表の飾りでなく奥の隧道本体を見てください。型が古いでしょう?この形は高度成長前の設計と推測されます。

 (おっと今確認しました。昭和32年竣工です。やはり設計は前のもののようですね)

 三国隧道に限らず、峠周辺の隧道は明らかに世代が古く現代の安全基準から外れている。それゆえに現在、新三国トンネルの計画があるそうです。おそらく最終的には上武道路みたいなバイパスに直結するんだろうなー。高崎から峠までの道の多くが(特に草津入り口より向こうが)狭く問題ありですからね。

R403に向かおう

R353

 石打のあたりでR353に入って山越えする。いきなり急峻な山越えになるが気にしないで。スキー場のあるようなとこをぶち抜けるのだから、後で走る県道76号もそうだけど、まともに山道を走るとかなりな道になります。

 山越えを過ぎると、のどかな山村世界。このあたりのデフォに近い光景ですが、本気で田舎なので工事とかで十分単位とか平気で待たされる事もあります。一応要注意。

R117

 R353でR117にぶつかります。ここいらのアプローチロードです。まずは左折。

R405

 伏野峠には新潟側から入りたいと考えていました。その方が地図上でも楽そうだったし、いきなりR117に直結なので帰りが楽そうだったからです。

 だが、そのための道としてR405を移動路に選んだのは合理性では失敗、そして酷道好きとしては大正解でした。R405はR439も裸足で逃げ出す超酷道だったからです。

 いきなりR117からの分岐で『→津南駅▽405』とあります。駅前を経由するのか?と首をかしげつつ入るのですが、いきなり道を間違えたかと思うような、ただの田舎の路地です。これ町道?私道じゃねーの?と思いつつ駅前へ。ここで右に曲がり、しばし線路にそって走る。
 だが本番は線路を越えてからでした。

ん?

熊出没注意!?

 ちなみにこの先、村道というか農道になります。もはや林道の広さすらもなく、こんな道トラクター入れるの?という道になります。ガードレールもなくなり、路肩に時々たてられている反射鏡のポールにも新潟県。どう見ても国道じゃない、おにぎりだって全然出てないじゃん。

 でも、ナビ見て迷い込んだくさい旅行者が途方にくれてるんですよね。どうやらGPS的にはここはちゃんと国道らしい。目の前を行く軽トラが「心配ねえよ」といってる気がするし、ここは信用して突っ込んでみます。

峠についたらおにぎり発見。

ふむふむ。

間違いない。確かにR405だ

これでもいい方ですぜ ^^;

 とにかく延々と走る。何しろ鬱蒼とした場所を抜けているしクルマならほとんど離合困難。

 このあたり、藁葺き屋根を板に張り替えたような家がたくさんある。おそらくこのR405も元々は古道で、お金がないから陳情とかで国道指定にしてもらい、維持管理の予算が出るようにしたのだと思う。脇道の県道とかのほうが大抵はいい道だ。

 なお余談だが、この近くにもいい峠がふたつあるが、そちらには今回いかなかった。簡単に言うと時間がなかったからだ。

 何しろ四国から帰って二週間そこそこだ。財布は空っぽで、遅くなって帰りに高速を使うような真似はなるべくしたくなかった。今のままでも酷暑の時間にあたりかねないが、夜になるのもちょっと困ったからだ。

 時間の止まっているような静かな集落をいくつパスしたろう。長い旅のはて、ようやくR403にぶつかった。

道の駅で案内図をパシャリ。

 雪だるまのオブジェが目をひくが、ここは雪だるまの里なのだ。うろ覚えだけど、雪だるまのゆうパックを思い出した。もしかしたらこのへんだったんじゃないだろうか。

 さぁ行くぞ。キューピッドバレイスキー場とかの中をぶちぬけるので、これを目印にがんがん南下するのだ。

 抜けると、またまた熊出没注意の看板や登山道入り口がある。明らかに国道規格でない道になるが、まぁいい。長野県側は最悪の場所もあるので留意してほしいが、こちらは問題ない。

伏野峠

登山基地になってますね。

 この種の峠に行くようになって、登山基地状態というのはよく見るようになった光景だ。

 こういう峠はいつも静かで、そしてバイクはまずいない。自転車と登山者のみがいる感じ。アプローチもひどい道が多い。でも、大変気持ちいい場所が多いので、ハーレーしか持ってないような友達にも「小さいの買ってピクニックにいくといいよ」とお勧めしたいくらいにいい雰囲気だ。

さて、帰るか。どっちも道細いけどw

 長野側にくだる場合、車幅のみの舗装のうえに曲がりくねり、勾配もきついうえに法面工事をしておらず砂利が浮きまくりのエリアがあるので気をつけてください。急ブレーキは絶対に厳禁で!

熊野神社

 途中、工事中で神社の方に迂回させられた。でかい木があった。

おー。

 あとはR117に戻り、県道76号で再び石打側に戻りR17で帰った。

 ちょっと反省。夏グローブだが実はお金のない頃に買ったドライビング用でバイク用ではない。今回のように500km以上下道を走ると右手の皮が剥けてしまう事がある。酷道が多いと特にそうで、今回もろにやられた。帰り道がきつかった。

 もう夏も終わりだが、夏グローブをどこかで確保しておこう。

( おわり)

かかったお金

 ガソリン1771円、飲み物120円、おにぎり126円?

 うむ。有料道路がないが距離がアレなので、こんなものだろう。

 ただし水分はもっととるべきだった。帰ってから飲み物をがんがん飲んだが胃腸はまるで問題なかったうえに頭痛がしていたのが治ってしまった。どうやら軽い脱水症状+熱中症になりかかっていたと思われる。まー、最後のR17がひどかったからね……。


1.その事の是非を問うのは私の仕事ではないが、少なくともバブル時代、古くは田中角栄時代の工事ラッシュがもしなかったら、この国には未だにインディ・ジョーンズ真っ青の超危険道がそこいら中にあり、おそらく地方の孤立化などの問題は今とは比較にならないほど深刻でそこいら中秘境だらけのままだったろう。これはおそらく間違いない。理由は簡単で、各地の地方道を走っていると、この両時代に改修あるいは付け替えのなされたものを非常にたくさん見るからだ。これは、地方を票田とし地元の声を優先した自民党の成果でもあると言える。良くも悪くも。