折りたたみ自転車紀行・埼玉→荒川くだって葛西臨海公園へ!

はじめに
マップ
出発
県境越え
荒川下り〜迷い
荒川ロックゲートにて
葛西臨海公園
葛西〜日本橋
日本橋〜帰宅へ

はじめに

 私hachikunはサイクリストではない、バイカーである。立派とは言えないかもしれないが、日本一周経験もある程度には『ツーリングライダー』であると胸をはる。生涯の友はバイシクルでなくモーターサイクルであるし、行き過ぎたチャリンコ至上主義の人に出会えば 「大阪まで一気走りした?おおすげえ!……でもその距離なら新幹線使ったほうがよくね?」 と言うであろう自信もある。

 そんな私がどうして自転車に手を出したかというと、近年の著しい体力の衰えである。

 元々体力のある方ではなかったが、おもむろに健康を損ねるようになりはじめたらさすがに話は別である。早急に問題への対応が求められ、そしてそれには自転車が最適だと結論づけられた。

 そして自転車自体は、高校時代のロードマンの思い出を語れる程度のレベルならば好きだった。坂道をこぐのは気がすすまないが、自転車で遊びたいという気持ちだけはあったし、 自転車を使いこなせれば、自動車禁止区域の隧道も探検できる のに、という想いもあった。

 そうそう、あともう一つ。確かに私は自転車の人じゃないけど、同時に 現在のオートバイが至上とは全く考えてはいない のも事実だ。むしろ昔は、二十一世紀には水素エンジンかEVバイクが主力になってるかもと期待していた。私にとっては今現在もなお、5自転車や電動アシスト車も含めたあらゆる意味での二輪車は「未来」を意味する乗り物なのである。決して過去の遺物ではない。

 閑話休題。

 しかし「健康のために走る」なんて事が身についた試しはない。「そんな事自慢するな」と言われそうだが基本的に私は「納得できないもの」は断固としてやらない、やっても続かないタチなのである。壁に向かって怪しげな健康器具のペダルをキコキコ漕ぎつづけるなんて考えただけで鬱になる。健康になる前に精神を病んで病気になる事間違いなしである。私はマゾじゃないし変態でもないので正直勘弁。

 そんなわけで「バイカー視点のチャリンコ遊び」第二段のスタートなのである。

マップ

 Googleマップで図示したかったが、Googleマップは自転車道をまともになぞってくれない事が判明した。特に今回のルートにある葛西方面は意地でもなぞろうとせず、うまく動作しない事が判明したので、文面で図示するに止まる事にした。ご容赦いただきたい。

 ルートは以下のポイントに分かれる。

 以上、合計 約63km あまりの自転車ツアーとなった。出発は午前五時半、帰宅はほぼ十二時ジャストであった。

 てーか飛ばしすぎだ。ママチャリ速度しか出ないチャリの「午前中ツアー」の距離じゃないだろ(汗

出発

もうすぐ県境だ。がんばれ

 出発は朝の五時半過ぎだった。

 うまくやるつもりだったが速攻で道を間違えた。だが「延々迷って携帯見てるより、通りふたつ遠回りになっても走りつづける方を選ぼう」と判断。そのまま走りつづける事にした。

 この選択にはもちろん、あてずっぽうでない理由もあった。

 池袋まで行ってR17に合流すれば最悪でも目的は果たせる事は確認ずみであった。そして、既に今までのバイクツアーで明治通り北部(王子まで)の経験値は少しだが積んであった。つまり、セイフティネットがちゃんと機能し始めていたのだ。どうやら東京でも1MAHALITOくらいは唱えられるようになったか、やれやれだ。

 夜明けの寒さに身を引き締めつつ池袋通過。2そういえばあの町はアリスと赤おじさんだっけと一瞬考えたが、よく思い出せばそれは六本木の事だった。

 ああそうか思い出した。スガモプリズンの手前で印象弱いんだ、すまん池袋。

 ここでしばらく裏道を走る。R17は幹線道路なのでチャリでは走りづらいのだ。

 で、板橋区役所の近くで再びR17に合流、そこから一気に埼玉県境を目指した。

 ここでライトの点滅を止めた。もはやその必要はなかった。

県境越え

 いったいどこまでいけば埼玉なんだ。

 家で見た地図には12kmとあった。しかし高知県高知市生まれの私は、この歳になるまで自転車で県境を越えた事なんか一度もなかった。だから私にとって県境とは特別で、徒歩や自転車が気軽に越えられるような場所ではなかったのだ。

 それは、私にとって禁忌だった。

 だが禁忌だから神聖とは思わない。限界を越えたいと思う時、ひとは自らの制約を打ち破ろうと考える。そこには確かに新たな地平があり、新たな世界があるのだ。3絢爛舞踏の果て、ひとはひとでなく猫は猫でなくなるように。

 さぁ、国境越えだ!

おお……!

国境だ!!

 川越街道で荒川を越えた。

 午前七時ほぼジャスト、自宅から僅か13km。地平の彼方かのように私が思っていた埼玉県との境界は、実はママチャリペースの小さな自転車でも一時間半とかからずにたどり着ける場所だった。

「腹減った……」

 携帯で店を探す。吉野家があるようなので、そこで食う事にしてR17をそのまま北上。

 少しいった先で豚丼を食う。

 ちなみにこの吉野家は日本人が普通に店員をしていた。おお、謎の中国人じゃないんだ!

 もしかして全国の吉野家見ると意外に日本人店員もいたりするのかなぁ?そうだと嬉しいんだが。

 味の方はあいかわらずパサパサでアレな豚丼を食べつつ、そんな事を思った。

空調服の製造元?

荒川下り〜迷い

 そもそも荒川沿いを選んだ理由は簡単だった。

「街中で地図を見ながらでは真の自分のペースがわからない」からである。事実、先週の大江戸線ツアーでは30km以上走っても「ちょっと疲れたかな」という程度だったが、合計すると「歩くよりは全然早い」程度にしかならなかった。これはこれで「まったり回ってもこれくらいはいける」事を意味したが、まわりに左右されない自分の限界も知る必要があると考えた。

 その点、川沿いならルートはほぼ決まっている。最悪、休憩時にだけ写真をとり、あとは黙々と自分の体力と戦い続けてもいいのである。これならば完璧に自分の『素の能力』がわかるだろうと思ったわけだが。

うう。がんばれ俺

 なんと、八時頃には既に足が売りきれそうになっていた。先週なら御徒町あたりにいた頃で、本郷の坂でしんどかったものの全然まだ平気だったのにである。

 休まず走る、ただそれだけの事が一時間と続けられないのか。

くそぉ、素の俺ってこんな体力ないのかよ……マジかよ orz

 情けない。あまりの情けなさに遮二無二漕いだ。

 飛ばす?そんな余裕はない、ただ「止まらない」ように走りつづけただけだ。

 周囲の散歩なジジババはさぞかしキモかったろう、ぶつぶつ言いながら怪しげな銀色のチャリンコが追い抜いていくのだから。しかし事実そうなんだから仕方ない。

 景色はゆっくりと流れていく。

分岐点が近くにあった。

 今回のツアーに出る前、エスケープロードを決めてあった。旧六号線の近くで中に入り、隅田川にかかる有名な徒歩・自転車専用橋である『 桜橋 』を越えるルートだ。そのまま帰宅すれば走行距離はおそらく半分になる。そして「リタイヤして何もせず帰った」ことへの言い訳にもなる。

だけどなぁ。

 無心に走りつづける。

 子供たちが野球などの練習をしている。近くにたくさんチームがあるようで、荒川の河川敷ではやたらとこの手の光景を見た。どのくらいあるかわからないくらいの数のチームが、この時間に練習をしていた。

 ……そして、時折駆け抜けるロードレーサー。

 カテゴリが違うから当たり前なんだが、彼らの走りは既に一般常識におけるチャリンコのそれではない。原付バイクかそれ以上の速度で駆けていく彼ら。

 そして時折、DAHONやBD-1などの『スポーツむけ折りたたみ自転車』も抜いていく。同じ折りたたみとはいえ我がスニーカーライトのカテゴリはママチャリに近い。あんな速度は出ない。

(お、BRUNOのミニベロが抜いてった。意外に速度出ないんだなミニベロ)

 いいのか?本当にリタイヤして?

(コルナゴって、どうも魚っぽい名前なんだよなぁ……^^;)

向こう側に高速が見える。すごい光景だ…。

 いくつもの景色が広がり、そして消えていく。

 ふと後ろを振り返れば、当たり前だが川越街道の姿なんかとっくの昔にない。

 足はヨレヨレ。息も少し切れている。

 だが、息は絶え絶えではない。足もまだ売り切れ御礼とはいかない。

 そして、私の自転車は最悪、折り畳んで電車に乗ればいい車種だ。

「……」

 いやなタイミングでホームレスの家が目についた。

 ものすごい数並んでいるそれは、大抵入り口に自転車があった。移動手段らしい。

 まるでそれは 「立ち止まったらおまえは俺たちの仲間になるんだ」 と言うかのようだった。

 これは比喩ではない。かつて日本一周の時、私は何度彼らと間違われて通報されたかしれないのだから。

「……」

 私は走る事をやめず、そのまま走りつづけた。

荒川ロックゲートにて

ふと気づくと、上の方でいくつか見た水門ゲートがあった。立ち寄ってみる。

「……荒川ロックゲート?」

 地図で確認してみた。

なるほど。

こんなとこまで来たんだなぁ。

 地図を見て驚いた。葛西臨海公園なんてもう目と鼻の先じゃん!

 嘘だろ?まだ九時前だぜ?

 このままいって……31kmを二時間十分くらいか?この小さいママチャリもどきと私が?

 呆れたな。これで体力的に慣れて自転車も変更したら、一時間半はいけるんじゃないか?

 いやいや、それは今考える事じゃない。とにかく移動しよう。

 ここで上着をパージし、昼間着に変更した。

 着替えをもってきたわけだが、このためにいつも使っているtimbuk2のメッセンジャーバッグ(S)が使えず特大(XL)を持ち出していた。この選択は容量の意味では正解だったが、チャリで走るためには大失敗だった。うう、XLは年末安売りで買えなかったので一番高かったのに orz 3000円で買ったSが二度と手放せないほど活躍しているというのに、情けないやつだ。

 やはりMも買おう。無駄かと思ったが背に腹は替えられないようだ。

葛西臨海公園

 荒川ロックゲートから葛西臨海公園を目指すにはひとつ問題があった。

 ここが荒川の西岸であるという事だ。目指すには向こう岸に渡らなくちゃならないのだが、多くの場合自転車がこういう川を渡るのは大変だった。やれやれ。

 葛西橋を渡って東岸へ。

 水が欲しい。トイレにもいきたい。少し町の方に入ったが、コンビニがすぐになさそうなので戻る。

 うむ、到着したらまずトイレを探そう。

 残念だがこのあたりの写真がない。尾篭な話ですまないが、こうなるといつも写真をとりのがす。バイクでも自転車でもトイレはこまめに、という事であろう。

 さて。

 葛西臨海公園は話に聞いていた姿とは裏腹に閑散としていた。考えてみれば当然で今はまだ九時台。こんな時間にここにいるのは川下りしてきたチャリの人とジョギングの人くらいのもので、回りの何もなさ加減同様、本当に静まり返っていた。

 誰かが遠くでフルートの練習をしていた。

 すぐに見つけたトイレは汚く、レストランかどこかのトイレを借りようと移動した。バーベキュー広場のトイレが比較的綺麗だったので借りた。

 お礼というわけではないが、ここの管理棟でジュースを買って水分を取り込んだ。ぷはー。

 ギターもってくりゃよかったなぁ。もっともその場合、やはりバッグは特大になってしまうが。

葛西〜日本橋

 葛西を辞したのは10時であった。帰宅には、だいたいのどんぶり勘定で二時間を見積もっていた。市街地走行で一時間に10kmを越える事はまずないし、昨夜、神保町でごはんを食べて桜田門経由で帰ってきた時の感触でも理解できていた。日本橋から家までは一時間はかかるはずで、ここからあのへんにもおそらく一時間かかるであろうと。

 それは、純粋な走行ペースとしては低く見積もりすぎである。だが結局それは正解だった。荒川を西に渡るだけで15分も過ぎていたのだから。かように時間がかかるものなのだ。

 橋をわたってすぐに「日本橋まで…」の標識が見え、その瞬間に最終目的地は決まった。

「よし、日本橋を見て帰ろう」

 あの場所に自転車で立つ日がくるなんて!人生ってわからないものだなぁ。

水の都・東京だ!

永代橋の風景。

 移動は順調だった。

 東京東部は平たい土地が多い。これを見て「自転車生活するならこっちがいいなー」と思う人がいるかもしれないが、それは早計だと思う。だって 平地が多いという事は大抵、水害地域だから である。

 だけど平地ばかりで住みやすいのも事実だろう。悩ましいところである。

 やがて、R1の起点が見えてきた……そう、お江戸日本橋だ!

日本橋〜帰宅へ

ふむふむ

4次の瞬間には文政年間に……いかねえって ^^;

 警察官にじろりと見られる。まぁそうだわな。さすがにこの時間だとジジババがいっぱい。ちょろっと写真だけとらせてもらう。

 さあ帰ろう。

 大手町の穴(あれは洞門か?いやいや)をくぐり、そのまま大手門まで突っ込む。で、お掘に沿って桜田門、半蔵門とぐるりと回る。

 そしていつものように四ツ谷経由で帰った。なんと計算通り、ほぼ12時だった。

 帰宅時に同じアパートの人と出くわした。歩行者用の入り口からチャリが沸いたせいか怪しげな目で見られてしまった。まずい、なんか誤解されたかなぁ。

 できればトラブルは避けるべきである。最後、反省。

(おわり)


1.: 「何とか一人前に戦えるようになった」という意味です。(MAHALITOとはゲーム『WIZARDRY』に出てくる呪文の名前で、これを覚える事により魔術師はお荷物から頼もしい仲間に変わるのです)

2.: ゲーム『真女神転生』ネタ。かの作品は東京が舞台で、なおかつ「どの勢力につくか」でストーリーが大きく変化する構造になっていました。私は仏教や神道などの古い神々に従って米国だのメシア教団だのを敵に回して戦い続けたので、カオス(混沌)寄りのストーリーとなりました。

3.: ゲーム『高機動幻想ガンパレードマーチ』のオマージュ。

4.: 石川英輔の小説『大江戸神仙伝』より。

5.: 子供の頃に読んだ文で「自転車は歩く人の七分の一しかエネルギーを使わない」というのを今もまだ覚えている。子供心にそれは凄まじいばかりの衝撃で「なんて凄い乗り物なんだ!」と思ったものです。人はどうか知らないけど、当時の私(たぶん小学生)の価値観として「同じ事をするならエネルギーを限りなく使わないのがクールだ」というのがあったので、大型車なんて究極のダサい乗り物というイメージしかなかったのです。同じ理由で、スーパーカー熱が醒めたのも「ランボルギーニ・カウンタックは戦車の1/10の燃費」という記事を見た時です。記事はスーパーカーの物凄さを語りたかったんでしょうが、私は百年の夢も醒めた気分でした。