2010/04/20 誤字訂正。せいちょうしらかわ→きよすみしらかわ
故あって自転車を買った。これで少しは体力をつけようというわけだ。
で「まずは慣らし運転だろ」と、とりあえず走ってみる事にした。ルートはもちろん近場で面白そうなラインという事で、 大江戸線の周回コース をたどって見る事に決定。根性なしのオーナーではかなり荷が重いが、まぁいくべとスタートを切るのであった。
しかし、自転車はこれだ……いけるかな? ^^;
ブリヂストン・スニーカーライト NSL163 (16インチ・内装3段変速モデル)
目覚めたのは早朝めちゃ早かったが、一応夜明けを待ち一次創作の原稿を書いていた。ふたつの巨大な銀河文明の興亡史の中、一億年の時をかけた知的生命体の究極進化に関する壮大な計画が頭の中でうねうねと蠢いていたのだが、唐突によくわからぬシャキーンと高鳴る動悸と共にさぁ逝くべとマイチャリを外に出すのであった。
ああ、うちの名前だけカッコいい『
さて、出かけよう。チョコなど一枚たりとて待ってはいないが、いつもの染みったれたお楽しみと1アッラーだけは私と同志たる君の味方なのだから。いざ!
現在のhachikunの住居は坂の上のような場所にある。行きはよいよい帰りは怖いのだが、おかげさまで飯田橋にはなぜか出やすい。そんなわけで
というわけで飯田橋到着~。
さて、次は
なんとなくチャリを撮影してみる。CLと違って小さいのでフレームにいれにくいのだ。
東大でなく仮面ライダーを想像してしまう私。やっぱ筋金入りの昭和ライダー世代だからだな、これは。
さ、いよいよだ。
ここまでの所要時間、約一時間。地図を見てわざわざ変な道を通っているにも関わらずこれとは……うむ、これなら十分実用に耐えそうだ。もっとも、上野や秋葉原にこの子を止めて盗まれたりいたずらされるのは嫌だなぁ。
だんだん早朝の精錬すぎる空気が和らいでくる。まだまだ寒さは消えないけどね。
さぁ、この先はもう徒歩でも知らない世界だ。いくぜ!
この表示結構便利です。
おお、もしかして「蔵前国技館」の蔵前か!こんなとこにあったのか!
ああ、ここまできて気づいた。この道路、ずっと前にCLで迷い込んでるな……千葉県からの突入だがww
さて、次は駅じゃないんだけど、チャリで回る時にはいいランドマークだ。
もちろん印象的な
厩橋という事は、昔は旅人のために馬を世話する場所だったんですかいねえ?このへんの郷土史がわからぬ無学の徒にはさっぱりですが、冷たい鉄の橋なのに雰囲気あります。あれだ、晴海の方にあるあの橋に似た雰囲気ですな。ま、あちらもこの後走るんですが。
こういうアングルで隣が美少女ならばいい雰囲気ですが、もちろん汚いおっさんひとりです。しかもミニチャリなのにきちんとヘルメット着用ときたww え?わざわざ内幕バラさなくていい? ^^;
明治時代には「なんという素晴らしい眺めだ、何にも例えようもない」とまで謳われたそうなのですが……。かなり復活したとはいえ再生の道は遠い。
橋を渡ったら清澄通りへ、そしてこの駅。これも雰囲気いい名前だなぁ。
この後、森下まで行く前に吉野家に入り豚丼を喰う。
余談なのだが、吉野家がお客様このコミュニケーションを重視する(だから食券やレジを採用しない)と聞いたのだけど……本当ですか?日本語が随分と不自由そうな外国の人ばかりのようですが?
たぶん吉野家のその話はそれ自体が嘘か、昔の吉野家と今はもう違うのかのどちらかなんだろう。おそらくは後者だと思うが。
何年ぶりかに吉野家に入ったが、とんでもない閑古鳥だったし……やばくないのかなぁ。
どうしても覚えられないマイナー駅。森高と間違えたのはここだけの話。すまぬ住人。
はじめて見た時、なんて美しい名前の駅だろうと思った。でも美しすぎて住み辛いかもしれない、とも。
この名を見ると、石川英輔氏の大江戸神仙伝シリーズをどうしても想像してしまう……発想が貧困でいけませんなぁ。
なにげにひとが多く写真はこれだけ。
やっぱ駅より橋梁の方が面白いな。これはもう
これ撮影してる最中、ふと気づくとママチャリのおばあさんがじっと立っていた。なんだろと思いつつ撮影を終えると、それを待っていたように何も言わず進み出した。その意味に気づき、あわてて軽く一礼する。微笑んで去っていくおばあさん。
まだまだ捨てたもんじゃねえぜ、東京!
普通の人がどう感じるかは知らない。私がこの駅の名を見た瞬間に連想したのは、まさに上のたった一言だった。
誰もわかってくれなくても構わない。ただ、血のように鈍い赤の世界でこの地に立ってみたい。ただそれだけなのです。
……とりあえず、なんか流行ってるスーパーがあるらしくて凄い人出でした。
途中、ここで曲がればオーシャン東九フェリーの乗り場のあるところに出る。
だけど行かない。それを始めると遠からず21987年の再来を招くわけで、そういう危険なことをしちゃいけないのだ ^^;
今はもう行かなくなりましたが、コミケット東京というイベントがかつて晴海で開かれていた頃、私はここをよく歩きました。インターネットなどなかった時代、見ても見ても見尽くせぬ同人の山。商業誌では絶対ありえない奇抜すぎる視点の本、売れるとかまるで無視しているとしか思えない異端すぎる本、時代とか流行とかまるで無視して「俺が作りたいから作った」全開の書物の数々は、行った者にしかわからない禁断の黄金郷でした。
そして2010年。おっさんになった私はやっぱり勝鬨橋をわたります。チャリですが。……ああ、徳島に渡るためにも通りますね ^^ その時は単車ですが。
実は築地に入ったの初めて。思わず 『タコルカ・マグロフィーバー』をまったり歌いつつ徘徊 してみたかったのですが、それは築地ツアーを開催した次回に回す事にして今は通過しませり。せりせり XD
あちこちで警備員さんに会ったんですが、どうも皆の反応が「またか……」なのが気になりました。どうやら大江戸線ツアーやってる人結構いるようですな XD
実は、坂道の多い新宿区よりも汐留付近の方がはるかに大変でした。
この区画、車最優先構造で横断歩道すら滅多にないんです。徒歩やチャリで寄り付くような場所じゃない……というかそれ以前に、人間が好んで寄り付く場所にも見えない。ここまで人を拒む種類の土地も珍しいですね。
この高架、たぶん2mそこそこしかないと思います orz 怖かった……。
張り紙ありますよね?これ「天井こすった車がいたら連絡を」みたいな事書いてあるんですよ。
「ああ、あれだろ。あの変な吸血鬼」「それは ダイ・アモン 」「……」
浜松町の方も撮っておきますね。わかってしまえば汐留からの移動は楽です。
さて、この後「あ、ここ近いじゃん」というのでお約束の寄り道を XD
うちのページの読者の方ならおなじみ、山手線内唯一の本格的山岳隧道『愛宕隧道』!前回は電車+徒歩という裏技で来てしまったので、今回チャリで穴埋めだ!
うは、昼間見ると本当に大東京のど真ん中でビビります ^^;;
戦前の渋い銘を残してくれたのは有難い。古いトンネルだって立派な歴史的遺構であるとわかって欲しいのです。
そして今日も登らず帰る(登れよオイ)。まぁ寄り道ですから。さて続きだ。
うむう。六本木とか近づくと苦手な雰囲気になってくるなぁ。
※女性は常にいるわけではありません。
この道をまっすぐ行くと六本木の方に行きます。
ここ、実はゲット写真がありません。 「何この変なおやじ、邪魔だよ」みたいな人々がウロウロ していてゲットできませんでしたorz とりあえず一枚だけ。
中央奥に見える通りが、青山1丁目に向かう道です。
あの交差点の向こうに入り口が。
いや、振り返ったところにホンダの本社ショールームがあるんですが、LOVE CUB50フェアだとかで、すげえアヴァンギャルドなデザインのカブ50が山ほどあったんですよ。
え?なんで寄らなかったかって?やめてくれ、欲しくなるじゃないの(泣) トランペットに憧れるスラムの黒人少年みたいにキモい視線をショーウインドウに張り付けて、なにあれキモいわね消えればいいのにとかコンパニオンのお姉さんたちが内心思い出す前にとっとと退散です。はい :|
いやしかし、イケてるカブあったなぁ。下落合あたりで学生が乗り付けると似合いそうなキッチュなやつがイイw
バイクだとこういうウロウロ走りはしにくい。自転車さまさまです。
昔、山本鈴美香の『ひっくりかえったおもちゃ箱』っていう漫画があったんですが、ヒロインの美鈴が父親と住む事になるのが、確か代々木なんですよね。こんな街だったんだ。
なんとなく気に入ったのでパチリ。
こっちの新宿駅はあまり使わないなぁ。ある意味貴重
たぶん大江戸線で一番使いまくってる駅、都庁前。
え?なんでかって?そりゃ、 こっち来るたびに新宿アイランド地下逝ってるから です XD
結局途中で「これはやばい」と引き返したんですが、一応この先も逝ったので出しておきます。
う~ん。このへんは全然知らない駅ばかりだ。
そろそろ「これは帰りが危険」と感じられはじめた。後にも用があるし、ここいらで引き返す事に。
この後は路線を追わず、下落合経由で最短で都庁前に出て、3いつもの用をすませてw から帰りました。おしまい XD
1. コーランの中に「貧者と
2. 1987年11月14日。はじめてのツーリングの時に冷たい雨が降り「ああ、ここでテント張って泊まれればいいのに」と思った。それが昂じてとうとう数年後、会社やめて日本一周の旅に出てしまった。おそらくあれは私にとっての「運命の出会い」だったに違いない。
3. 都庁前にくるといつも……XD