ヤビツ・明神・三国・鳥居地・牧馬峠ツアー

 本計画は、多少の課題を残してほぼ完遂されました。(2009/10/31)


 近かったにも関わらず初期のツーリング黄金期にも走ってない峠道。それはおそらく県道だったからと思われる。
 そんなわけで、そこを走りにいった。

起点・終点

 起点は八王子であった。終点も八王子で、特に滞りなく終わった。

ツアー行程

 今回は隧道探索は二つのみ行った。しかし一回はとある事情により失敗。写真に収めたのは一つだけとなった。

第一区画(八王子~国道246松田)

町田街道上のコンビニ駐車場。こういう写真は大抵深夜にとれる

 いつものようによく眠れなかった。3:30amに目覚ましをセットしたが出発はそれより早く三時になってしまい、甲州街道の路上で鳴り出すという笑えない状態となった。興奮して眠れないのだ。遠足の前の子供のようにワクワク感がどうにも止まらない。

 去年の私が今の私を見たら仰天するだろう。まるで乾いたスポンジが水を吸うかのようだ。これほどまでに私は飢えていたのかと自分に呆れた。

 そして今夜も、飢えを満たすために走る。ただ淡々と。

 甲州街道から町田街道に入る。少しして、都道48号に移りそこから道志街道に潜り込む。今回もFOMA F-01aが怒涛の大活躍をしている。千葉でなんか 雨の中でもGoogleMap見てた しな。現在位置の把握に無くてはならないものになっている。

  ガラケーを君が持ってるなんて と友人に意外そうに言われたが、理由なんてそんなものだ。ht-03aがFOMAエリアプラスに対応して防水になってくれればいいんだが現実はそうでもないから当分の間はガラケーで行くしかなさそう。

 しかし、この携帯買った時にGPS+防水は確かに指定したけど……まさか本当に大活躍するなんてあの時は思いもしなかったなぁ。

 国道と違って真っ暗で不案内な県道。しかしツーリングマップとGPS携帯で併用もあってまず迷わない。行き過ぎに気づいて少し戻ったが、無事道志街道に潜り込むことに成功する。なるほど、表示上は都道(507?)との併走があるのかな?

 途中で国道412との併走区間を抜けて再び道志に入る。川崎ナンバーの単車が背後からきたので迷わず行かせる。私ゃ遅いし、それに私の行き先は道志村方面じゃないのよん XD まぁ、山中湖には行くだけどね。

山岳部に入る

 道志街道から都道64号に入ると、いよいよ宮ケ瀬~丹沢の山岳部のはじまりだ。

 津久井側から入ると結構な険道と聞いてたのだけど、そうでもない。確かに一部、まるで国道439の京柱峠方面みたいなところが少しだけあるけど、ちゃんとガードレールもあるし一車線確保されている走りやすい道だ。少なくとも、離合で注意しないと崖下にまんまダイビングしちゃうようなところもないし、車だとケツや頭が道路から出ちゃうような危険箇所も見当たらない。「こんなもんか。ふむふむ」と平和にまったり走る。……まぁ まだ夜が明けてなくて真っ暗 だったのはさすがに閉口したが、これは自業自得だし。

 しかしこの区間の写真がないのが悔やまれる。ヤビツ峠でたくさん撮ろうと思ってたのだが、まさかDQN軍団に阻まれて撮影できなくなってしまうなんて夢にも思わなかったのだ。

 ヤビツ峠方面は平日夜間通行止め、みたいな表示があってビビるが、まぁと開き直る。ここまで来た以上行ってみるしかあるまい。

 変な話だが、夜明かししている車が結構あった。行楽シーズンだし、ハイキングやキャンプだったんだと思われる。昼間いったら大変かもしれない。

 ……それと自転車に注意!

 チャリダー、お願いだから反射板かくすな!可能なら電気くらいつけてくれ!夜も明けてない真っ暗な津久井からヤビツ峠までに数台いた。ここいらへん、街灯どころか人工物がまわりにないので本気で真っ暗なんだよ!

 あんな狭いところの上に大音量のホーンもないんだから、もう少し考えたほうがいいぞ。

ヤビツ峠(撮影失敗)

(唯一の写真。駐車場から少し降りたところです)

 ヤビツ峠に着く前に夜が明けた。早めに出たけどちょうどよかったようだ。

 ここにきたのは初めてだと思うが、なかなかいい峠だ。秦野側が何箇所か工事中で砂利道だったが、これは舗装の修理のようだった。基本は全舗装だろうし、この程度の砂利が危ないというのなら津久井側の険道な登りは走れまい。だから問題ない。

 ヤビツ峠には車が数台あったが、明らかに秦野か厚木から登ってきたDQN軍団がいくつも混じってる。これには閉口したが、まぁ仕方ない。しばらく待ったが去らないので、景色だけ焼き付けて降りる事にした。く、次におあづけか。

 秦野側の坂はなかなかいい感じです。厳しいとまでは言わないけど結構険しいです。

国道246号(松田まで)

 まだ七時前だというのに国道246号は渋滞していた。あいかわらずだな……。松田までは惰性でずるずると走る。

 そういや昔、このへんの山に詳しい人と走った事があったな。いろんなところをぐるぐる回った後、でてきた246のポイントが『(やどりぎ)』入り口のセブンイレブンの横。あれはビビったが、もう一度行こうにも道がわからない。

 むう。このへんも課題か。

第二区画(国道246松田~山中湖)

 今回決まっていた事で「山北以西の246は可能な限り旧道へ」というのがあった。また注目の隧道がひとつあった。

国道246号旧道

 国道246号で西走すると、山北の市街を躱すようにバイパスで左に迂回していく。これは22年前にはすでにほぼ完成していたが、この先のバイパスとかトンネルは実はほとんどそのころには完成しておらず、足柄のバイパスに入るまでの区間は今と違って六割方は今の県道76号の方を走っていた。私のはじめてのツーリングの時、あちこち工事中なのを「バイパス造ってるのかな?」と見ていたものだ。

 もちろん入る。まず山北の入り口で道なりに左に曲がらず市街地に突っ込んだ。

 旧道というと面倒くさいと思われそうだが、それは道による。旧道化の後に大改造されていたり、完全廃道になっていれば確かに面倒極まりないのだが、その後も地元民によって普通に使われている場合、国道などの表示が外れているだけでそのまま使われている事が多い。この山北から丹沢入り口までの区間もそのようで、ほぼ一本道で三箇所ほど旧道に分岐する。一部旧々道や山岳道もあるようだが、そういうとこに踏み込まなければ迷う事はまったくない。かつての246を走った人なら「おお懐かしい」と走る事ができる。

山北駅での写真。

 さすが、かつての東海道。渋い木造の駅舎があったが、すでに人がいて忙しそうだったので撮影がちょっちためらわれた。代わりに線路と、地元のマラソン選手へのお祝いを見つけたのでパシャリ。古い商店街もあっていい雰囲気だ。ここにD52とか通ってた頃を見てみたいものだなぁ。
 Wikipediaによると東海道の現御殿場区間は結構な急勾配の難所で、その時代の最大出力の機関車があてがわれ、さらに二重編成で走らせたそうだ。しかも合体にはわずか30秒、離脱に至っては無停止で走行中(!!)にやったというのである。なんかすごいじゃないか!

安戸隧道

新しいトンネル(昭和41年竣工)も名前は隧道である。

 山北駅を過ぎてずっと走ると現道にぶつかるが、右を見ると新旧トンネルが二つ並んでいる奇妙な光景が見える。現道はもちろん左側の新しい『新安戸隧道』に入っている。では旧道はこちらかと思いきや、実は山北側から旧隧道には入れない。現道で一度抜けてからUターンしてこなくてはならないのだ。

 竣工は大正二年(Web調査)。こんな、青年時代の思い出の目と鼻の先に立派な大正隧道があったなんて!灯台元暗しとはこの事か。

 なお新トンネルが異様に広いのがわかるだろうか。このへんの新トンネルの特徴のひとつだが、これは昔、このへんだけ東名高速の開通が最後まで遅れた事に由来しているそうだ。狭い旧隧道群では迂回路に使えるわけがないわけで「ええい掘っちゃえ!」とでっかいのをどーんと掘ったというのが真相である、と隧道系サイトでは分析しているところが多い。真偽は不明だが、確かに理屈はあってる。

回り込んでみた。

中は鉄骨で補強されているのだが…

 …って ちょっとまて!壊れそうだぞ!現用なのに! (おおおお @@; 危ねえ! 直したほうがいいよ~お役人さん)

秦野側坑口横よく見ると碑文があった。んむ

 徳川幕府は、江戸の守りを固めるとめ「入鉄砲(いりてっぽう)」「出女(でおんな)」の監視に、全国の重要な街道に関所を置いた。
 なかでも東海道の箱根関所は「重キ場所」として脇往還(おうかん)にも根府川関所、仙石原関所、矢倉沢関所、川村関所、谷ケ関所の五つの関所が置かれていた。
 天保十二年(1841)幕府によって編さん(編纂?)された新編相模国風土記稿の川村山北に「御関所西方にあり、川村御関所と(いひ)奥山家(をくやまけ)及び1駿州(すんしゅう)への往来なり、小田原藩の預かる所にして、警衛の士藩頭一人、定番(じょうばん)二人、足軽二人を置けり、建置の年代(つまびらか)ならず」と記されている。
 その場所がこの周辺である。この関所への道は、
 小田原からの甲州道を南足柄向田で分かれ、北上して当町の岸から山北に入り関所を越えて共和・清水・三保地区を結ぶ奥山家への道と、途中で分かれて駿州への「ふじみち」として信仰の人々の往来にも供された道である。しかし小田原藩領民以外の女性は通行できなかった。なお、通行にあたって村内で扱う山物(薪炭など)に十分一銭という通行料を徴収したことも知られている。(まだあるが略)

 (一応読んでみたが隧道自体とは全然関係ない。このあたりに関所があったという話みたいですね。がんばれ教育委員会)

 少し短いが立派な隧道である。交通量もあるし、これからも当分は使われ続けて欲しいものだ。

隧道の向こうは新道と旧道が再び分岐していく。

 右に曲がりGSの横を抜けて旧道にいこう。この先は、当時の私の友達もみんな通った「 あの頃の246 」だ!

 走ればわかるが、きちんと山側の舗装が手直しされていたり現道である。まぁ途中に集落がずらり、あるのだから当然だが……実はほとんど全部の集落に昔入った事があるんだが、山あいの古びたいい土地である。2ネット完備なら住みたくなるくらいに。

 途中、もう一度新道と交差するけど同様に右に曲がればいい。

謎のドライブイン

写真がぼけてしまった……。

 1987年11月14日の午前中、赤いMTX50Rでやってきてここで休憩した。寒くて寒くてガタガタふるえてた。ドライブイン、廃墟みたいだったのに綺麗になってる。立て直して復活したのね。

 ちょっとまだ早かったみたい。次の機会には食べていこう。

小山市街へ

 小山旧市街は、今も現用だ。なぜなら246の足柄バイパスは自動車専用道路だからなのだ(知らなかった……昔モンキーとかカブで走っちゃったよ ^^; MTXでも)。そして今回の目玉のひとつ、明神峠と三国峠の登り口もこの旧市街にある。というわけで侵入。

 Googlemapによると商店の前で右に入るんだが、肝心の商店名のところが現地で読めない ^^; 日焼けか何かで茶色になってしまってて読めないのだ。が、いかにも分岐って雰囲気だし「○○公園入り口」と書いた朱色の右矢印の看板があるので、そのまま入ってほしい。すぐに県道のヘキサで147の字が確認できるはずだ。

 ずるずると古い住宅地を走らされて、スワ超険道と色めき立つが心配ない。本体は普通の道でよく走れます。

第三区画(もうひとつの山越路)

明神峠

静岡県から神奈川県へ。

 すぐに三国峠にいくので、神奈川県はすぐ終わるのだが ^^ このあたりが明神峠らしいのだが少しわかりにくいので県境マークを撮った。

 舗装がボロボロなんだが昭和時代に開かれ、その後も最低限のお手入れはされているんだろう。走りやすいし広いしいい道だ。

 このへん富士山がよく見えるが、続く三国峠の景色には絶対かなわないので、まぁ抜けよう。

 ちなみに明神峠・三国峠間だが、 いやに低いところを高圧線が堂々と這っているのが少し気になる 。地震やら台風やらゴジラやらの通過後に見に行くと素敵かもしれない。

三国峠

錆びた地図。

 どうゆら山梨県の昔の趣味みたいで、鳥居地峠にも同じデザインの地図があった。でも残らず錆びていたけど XD

 でも見どころはそこじゃない。よく見れ、 この地図、南北が逆 なんですよ。 峠が上、山中湖が下にある のだ!

とても県境っぽいですね。神奈川県側を振り返る。

おお……

おおおお…………

おおおおおお……!!!!!!

 すんげえ!めっちゃ綺麗だ!

 こりゃ久しぶりにいい富士だ!!六合目くらいまで冠雪してますかねこりゃ。

 明神峠と違って里の標高が高いので、くだるとあっけなく山中湖畔に到着する。

第四区画(知ってる区画の知らない道)

 道志街道と交差するが無視して山中湖の北側に回り込む。

 元々山中湖の周囲はあまり好きではない。地元本位の区画ではないからだが……山中湖の北と南ではベクトルがかなり違うのもおもしろい。どうやら初心者は南側に主に誘導され、積極的に探索したり釣りしたりといった行動派は北側らしい。まぁ観光バスとか狭い北側に入られると非常に邪魔なんで、その方針には私も賛成だ。

 ちなみに富士山の綺麗さなら(富士が見える日は)絶対に北側である。釣り師たちは 日本随一の絶景を見ながらまったりと釣り を楽しんでいた。……いや楽しそうだね本当に XD

忍野村

 忍野村(おしのむら)は富士見客以外はあまり寄り付かない土地だろう。ゆえに若者はほとんどいないが、今日のような日は爺さんが子供みたいに楽しそうにカメラをもち、その横で婆さんが微笑ましそうに見ている。

 そんな光景がまだ日本でも見られるとは思わなかった。私の時代にはきっと、そういう爺さんの横に婆さんはもういないんじゃないかと思う。その手の爺さんは自分の趣味に婆さんを巻き込まないか、そもそも隣にいるべき婆さんそのものがいないに違いない。

 割れ鍋と綴蓋(とじぶた)、という古い言葉がある。割れた鍋じゃ中身はこぼれちまうし、閉じたら開けられない蓋じゃ使い物にならない。つまり夫婦なんて人間なんだから欠点だらけであり、それでも手をとりあってうまくやっていくのよというニュアンスを持つ言葉らしいが、権利ばかり主張して自ら得する事しか考えず、そんな慎ましい日本語なんか今の人々は忘れてしまってる。おそらくそのツケは自分たちの老後と、子孫たちが払う事になるのだが。

 いやいや。では、鳥居地峠に急ごう。

遠くに見えるトンネルは鳥居地トンネルである。

 鳥居地峠はほとんどの地図に記載されてない。GoogleMapを見ると、地形図の一歩手前の超倍率まで持ってくるとかろうじて見えるが、峠の名称どころか道がどこに属しているのかもわからないありさまだ。ただ山越えしているので「ここが峠なんだろうな」と推定する。そんな峠なんだが交通量がほとんどゼロだしチャリダーにとっては狭さも問題にならないのだろう。彼らの峠越えには大変よく登場する峠道だ。

 幸いなことに、忍野村から峠越えしている道はここと超有名な二十曲峠しかなく、しかもこっちは全舗装されているのがWebの情報でわかっている。ならば簡単、 新トンネル入り口よりも東で、峠につながるっぽい道 を探しつつゆっくりと徘徊して探していく。

 ……あった。山荘への道とほとんど区別がつかないが、 細くて公道くさい道にヤマ勘で潜り込んだらドンピシャ(死語) だった。

 中に入ると、激しくアップダウンを繰り返す舗装済み登山道みたいな道になる。ガードレールもないし曲がりくねっていておまけにこの季節は落ち葉だらけ。危ないので注意してゆっくり走ろう。……しかし先週といい、ここ十年ぶんくらいは森林浴しまくりのような気がするなぁ。

鳥居地峠

Yahoo!地図にあった。これ携帯で使えないかな

おお。峠標だ!

今から向かう道があるが、こっちも超狭い

右手に山道がある。未舗装だが車も途中まで入れる

 (忍野村のハイキング地図を見る限り、これが標識にある高座山などへの道のようだ。反対側にも廃道状態の急峻な道があるのだが、こっちは無関係かな)

三国峠と同タイプの地図。やっぱり錆びてる

 少し狭苦しいがいい峠だ。アプローチが死ぬほど狭いので観光客の車なんか間違っても来ないと思う。まったりしよう。

 なおこの後富士吉田側に降りたが、バイクvs車ですら離合困難という途方もない道が市街地の近くまで続いていた。何気にすごい。

第五区画(そして未知へ……)

 この先はまったく未知の世界だ。都留市禾生(かせい)の国道139号を走っていると標識が出るので、それに従って県道35号に入る。

県道35号

 大変申し訳ないが、走るのに夢中で写真をまったくとっていない。

 途中大きな工事現場があるがそれはリニアモーターカー実験線のものである。隧道がちらりと見えるが、まさか見に行くわけにもいかないので、すごすご引き下がった。裏手にもぐらがどうのという分岐があり、そこからは何か見えるのかもしれない。次の機会に見てみようか。

 って、これは何やねん ^^;

 隠れ里とはうまいネーミングだ。

 大げさだと思う?いや私は思わない。なぜなら、このへんにいくつか建物があるらしい分岐を見たが、そのどれもが低速で周囲を見ながら走ってないと速攻見落とすような道の果てだったからだ。確かに「隠れ住む」には非常に向いてる環境なのだろう。

 ちなみにこの山系にはずいぶん変わった家も見かけた。山小屋みたいな作りの民家もあったし、ただの野原に古いバスやキャンピングカーをどんと置いて作業場にしているものさえも見た。確かに実際、このあたりを作業場や遊びの基地にしている人がいるのだろう。

 ていうか、土地代さえ確保できればそういう真似もできるわな。

 中型車免許でもとっておこうかしらん。低床二トン車の上にプレハブで小屋造ってる人を昔見たけど、なるほどと思ったものだ。

雛鶴隧道(攻略失敗)

 雛鶴トンネルというものがあるが、このトンネルには旧隧道がある。封鎖されているが貫通していて向こうが見える、渋い旧トンネルだ。

 そこに行って写真をとろうとしたのだが…… 妙に綺麗な軽トラが三台 止まってる。隧道の撮影をしようとすると 人の気配が急速接近

 まずい、 このパターンは林業の人じゃない ぞ。嫌な予感がする。

「やあ。何をしているのかね」

 聞けばやはり役場の人。 『休猟区』 と書かれた看板をこの地域のあちこちで見るのだが、まさにこれを設置している最中らしい。まだ軽トラに山と積んであった。土曜日だってのにごくろうさまです。

 どうやら密猟の下見と思われたらしい。参った。

 目の前の廃隧道を見にきたんですと正直に言ったのだけど全く信じてないなこれは。やれやれ orz

 とりあえず、面倒な事になる前に退散を決め込んだ。

 出直しになるけど……このへんはどうやら雪がくるらしいので、冬来られるか微妙だなぁ。

牧馬峠

 このあたりの三桁県道(都道)はなかなかいい雰囲気なのだが、雰囲気がいいという事は幅員が激烈に狭いという事に他ならない。まさしく険道の面目躍如であり、また道の番号なんてほとんど標示されていない。最近は酷道が静かに流行っているようだけど、やはり基本的に地元民の道なのだろう。

 またもやGPS携帯とにらめっこしながら分岐点を探す。(しかし超大活躍だねF-01a ^^;)おぉ、あったとばかりに入り込み、ずるずると登っていくといきなりこんなとこに出る。

狭っ!!幅員2m制限はダテじゃねえ!

 そう。これが噂の牧馬(まきめ)峠だ!チャリダーの記録ではよく見るが、ツーレポで見る事はとても少ない。でもyoutube動画にはあるから、今どきの子は使うのかもしれない。

 しかし……狭いよ A(仮名) さん(誰?) ^^;

 驚いたのは、この狭さなのに普通の車も来る事だ。ぉぃぉぃと言いたくなるでかい車もきたが、 ミラーも畳んでスレスレで通っていった のにはさすがに呆れた。やるなぁ。ま、ここは渋滞なんてまずありえないだろうが。

終点

ちょっと遅れてしまった。残念

 この後はちょっと渋滞に巻き込まれつつ八王子に出て帰った。

 帰って飯食ってると母から電話があった。まったりと昔の道を回ってたよというと、そうかねと少し安心したように言われたが……

 しかし母上。旧隧道や山道まがいの峠道回るのって、高速ぶっ飛ばすより私ゃ危険な気がしないでもないんですがねえ…… ^^ ま、いっか。

(おわり)

(おまけ)当日かかったお金

項目 金額 備考
燃料代 945円 リッター26kmくらい
コーヒー 140円 ホットなペットボトル。足柄で買った

たぶん、合計で 1500円 くらいと思われる。帰ってから満タンにしてないので推定。……一都三県に渡って縦横無尽に走り回ってるっていうのに、まぁこんなものか。


1.駿河(するが)の国。静岡県のこと

2.関東周辺部には、こういうエアポケットみたいな田舎が結構あるのだ。ライフラインさえ確保すれば首都は目の前だしいい環境だと思う