旧天城隧道を追え!

 先日の四国における探索は実に有意義なものであった。大物の寒風山隧道や雲早隧道のような特殊事情の隧道、混ざりっ気なしの100mオーバー層素堀り、しかも旧道ですらない現役の幹線国道である大釜隧道などなど。先の千葉県の素彫り明治隧道から始まった私のマイブームは衰える兆しすらもない。
 そもそもわが国は平地が狭く、至るところにトンネルやロックシェードがある。現役のトンネルにしても、現役国道という枷を外せば江戸時代には既に存在したものさえある。東京の雑踏の中に密かに立ち尽くしているものがあるかと思えば、とてつもない深山幽谷で朽ちるのを待ち続ける隧道も無数に存在する。

 かように我が国はトンネル大国でもある。実用一点張りの品だけあって普通の建築物にはない機能美があり、そして歴史もある。近代土木遺構や重要文化財になっているものもあるんである。

 さて、そんな我が探検隊(隊員私ひとり、総指揮私ひとり、撮影私ひとりという大変物寂しい探検隊だが)が寒風山と同様に目をつけていたのが、天城越えで有名な旧天城隧道である。
 この隧道はあまりにも有名である。有名な物語の中にもよく登場する隧道であり、また 道路トンネルとして初めて国の重要文化財に指定 されている。旧道の寂れゆく廃隧道であるものの、そういう歴史的事実から閉鎖される事もなく、現在も通行する事ができるという。
 ぜひ、ここに行ってみたいと思った。

 しかし、実は私はもう18年近く伊豆に行っていなかった。だから九月の千葉の時と同様、この短いツアーも歴史に残るものになるはずだった。

アプローチ

出発

 帰宅して夕食をとり、小さな用事をすませ実家とやりとりをした後、即座に暖房をしかけて寝た。目覚ましは午前1:30にセットしてあった。

 1:15。眠りが浅いようで何度か目覚めたが、それでも充分に走れそうだ。おそらく夜明けの後に睡魔がくるが、途中で軽いスタミナドリンクを入れておけば昼まではばっちり醒めているだろう計算だ。加えて肌寒いこの季節は睡魔に襲われにくい。
 さあ、いくか。

 出発時点の忘れ物が携帯しかなかった。これは幸先がいい。1:50、微笑みのスタートとなった。

迷った時の……

 いきなり都内で迷った。桜田門から一号線に入ろうとしたのだが、工事中ポストがいっぱいあって、つい避けてしまったためだ。

 焦りつつ芝公園を目指していると、第一京浜(国道15号)にぶつかる。ラッキー、これでとりあえず横浜まではいけるぞ。

 ちなみに国道一号線は第二京浜となるらしいが『漢の花道』という俗語は上り側の話で、下り側はそう言わないらしい。気をつけよう(何に?^^;)

横浜

横浜新道料金所です。150円

 横浜新道の入り口のところでショックな事が。

 通った人ならわかるとかもしれないが、妙なところで一般道が交差してますよね?ランプの本当にすぐ近く。 実はあそこの近くに昔住んでたんです。買い物にいく時あそこ横切ってたりしたんだよね。横浜新道のランプだって知らないで。バイク乗りなのにさ。

 ていうか この時通りかかるまで本当に知らなかった 。通りかかって「ん?……ええええええ@@;」って。

 俺のあの時間って、なんだったんだ……めまいがした。だって十年近くだぜ?ありえねえ orz

 いかんいかん、俺はもう1あの日の俺じゃないと気を取り直して走る。

 足掛け18年も住んでいたのに「見知らぬ横浜」。風景が新鮮なのはいいんだが素直に喜べず、複雑な思いで通過。

 さようなら。またあう日まで。

熱海

熱海駅ですよセリ○さん!

 小田原までに海ルートか山ルートかを決めるつもりだったが、このぶんだと山は寒そうなので海ルートに決定。あとは下田が近づいた時点の時刻で、天城に直行するか石廊崎に行くかを決める事にした。
 有料道路をがんがん使う。ついに合計金額は550円に到達。むう。
 だが構わない。神奈川県はパスると決めているのだから躊躇なく使う。どうせ千円以下だし。

 海辺のワインディングは速度が出ないが大好きだ。惜しむらくは深夜で海が見えない(まだ午前三時台)事だが、河津や下田あたりまで行けばさすがに見えてくるだろう。それに、完全に朝になったら車が増えすぎて遊べなくなるのも事実だろう。今度明け方狙いで遊びにきてみるかなぁ。まるで走り屋の朝練みたいに。

 しばし堪能していて、ふと熱海に気づく。駅前に走り込んで撮影する。
 え?なぜに熱海かって?ああそれはね、うちの二次創作とかそっち系の話なんですがね。まぁ^^

小湊第一隧道

おっと素彫りだこいつ!

 途中、計算外に素彫りの隧道があったのでメモった。小湊(こみなと)第一隧道。完全予定外なのでまだ少し暗かったのが残念。

 竣工は昭和32年、長さ18mと少し。

 暗くてよくわからないが、素彫りにコンクリ吹き付けじゃないかなこれは。しかしコンクリが薄いのかそういう味付けなのか、荒っぽいボコボコ感がいい感じに残されている。形状自体が極力今風に丸く作られているのとは対照的だ。ある意味、あの国道193号線の大釜隧道にも似ているが、よく言えば洗練、悪く言えば迫力が足りない。トンネルに興味のない人なら立ち止まりもしないような地味な姿だ。まぁ長さも一桁短いのだし仕方ないけど。

 ちなみに以下は下田市広岡にある広岡隧道。さすがにここまで地味なのと比べると小湊隧道の個性がわかるだろうか。広岡隧道だって昭和37年竣工で年は近いのだけど、タイプがまるで違うのが興味深い。

 この時代の隧道を四国とこちらでたくさん見てみて、「なんとなく」持っている印象なのだが、どうも昭和30年代前半と後半で明らかに隧道作りが大きく変わっているように思える。たとえば旧寒風山隧道は昭和33年とかに着工しているわけで仕様も旧型隧道に属し、小湊隧道のそれとも関連性を感じる。この点、それからたぶん地山の土質や岩盤の問題。この二点がその時代・その場所の隧道の性質を決めているのではないかと私は想定しています。

石廊崎漁港にて。

 少し早く着いたのでGSすらも空いてなかった(汗)。石廊崎漁港で休憩する。

なんだこの穴? @@; 二つもあった。

駐車場もあるが有料になってる。手前にWCあり。

 灯火が妙に光ってるのは携帯側で増幅しているから。明るいからわからないだろうけど、まだ薄暗かったんです。漁師のおじさんたちが伊勢海老水揚げしてたようです。

国道414号で一路、天城へ

下田から414号に入るとここで迷うが直進してトンネルへ

 結果論だが、414号は河津からでなく下田から入ったほうがいい。特にあなたが酷道マニアならば。河津より向こうは整備されてしまっているが、この区画には少しだけ国道439号紛いの区画が残されているのだ。ごちそうさま~ XD

天城隧道

下田側アプローチ

旧道は標識がある。右後ろにカーブ

 旧天城隧道のアプローチは大変わかりやすいが、行楽シーズンでもない限りみんな素通りなのにきっとビビる事だろう。有名な天城越えなのになぜ?と。

 理由はすぐわかる。

 確かに有名な場所だし、トンネルとしては日本最初の重要文化財であるのは事実なんだけど、 とっても路面が悪い のだ。これじゃ「たまには昔の渋いトンネルも行ってみようぜぇXD」なんてお気楽に来られない。そんなわけでほとんど入ってこないんだろう。

 なんせほとんどが砂利道である。簡易舗装された時代もあるようだが、それもたぶん落石などで痛んでしまっている。国道439号の京柱峠の徳島側にも似ているが、あそこよりひどい。特に「車が踏むことを想定して」バラスト状の砂利を敷いている部分があり、そのへんはオンロードバイクだと最悪だと思う。

 走れない事はない。だが林道に行く心づもりで留意して入る事。

 自信がないのなら無理せず歩こう! 修善寺側の入り口に駐車場があり、そこからハイキングコースがありよく整備されているようなので、そちらも併せてお勧め しておく。

 繰り返すが無理してはいけない。このあたりは山深く見えないかもしれないが、ガードレールなんてモダンなものはついてないところもある。落ちれば怪我ではすまないぞ。

下田側坑口

砂利道の奥に、そいつは静かに現れた。

おお……恰好ええ!! いいじゃんいいじゃん!! XD

 携帯の写真だとこの迫力はどうにも伝わらない。だから勧める、機会があれば是非見に行ってほしい。

 正直言おう、私はこの隧道をナメていた。
 文化財だかなんだか知らないが、観光化するために今も現道のままにしてある「だけ」の隧道なのである。今はもう役目を終えちゃった過去の存在でしかない。それは事実だし、私は昔から行き止ま林道や歩道国道の類にあまり興味がない。だから「ふーん」だったのだ。まぁ「今も国道指定されているが 古道にたたずむ明治生まれの大隧道 」だとか「総石巻きの大変美しい隧道。重要文化財」だとかのキャッチフレーズを「へいへい、そうかい?」と聞き流し、まぁ話のネタにはなるかと思って見に行ったのだ。いやマジで。

 地元の方とファンの皆さんごめんなさい、私がバカでした。
 とんでもねえ。実物を現地で見ちゃった私は、その佇まいに思わず、まじまじと見つめてしまった。

なるほど、貫通して使えるとはいえもう「実用」としては生きてないのかもしれない。だが、そういう問題じゃない。
あの千葉県のやつみたいな存在感はない。ずっとスマートで整然としてお金かかってて、でも「昔日の隧道」でしかない。
だけど。
だけど違う。こいつは なんか知らんが凄くキテる!!

 中に小さな光点が見えるだろうか?それは反対側の出口である。そこに至るまでのすべての空間が、その坑口に見えている石組みが綺麗に固められているのだ。しっかりと!石巻き工法という奴で、同様に煉瓦巻きってのもある。あなたが煉瓦巻きの古い隧道を見る機会があったらチェックしてみて欲しい。天井部の杭のような少し大きい石といい、そこに同じ構造を見る事ができるはずだ。

 しかし、これは……なんかとんでもねえぞ。たかがトンネルのくせに重要文化財指定されるわけだわ。 惚れたXD

修善寺側坑口

 ひんやりと寒い隧道の中を通過する。一車線なので、対向車むけのアプローチを忘れずに。

抜けた。

修善寺側には休憩所やトイレ、解説の碑文。

重要文化財 天城山隧道
天城湯ケ島町湯ケ島
河津町梨本
 
この隧道(トンネル)は下田街道の改良工事の一環として、 明治三十四(1901)年に貫通、同三十七年に完成 した。
 全長444.5m、幅員(ふくいん)4.1m、トンネル両端の坑門及び内部全体が切石摘で造られ、川端康成の小説『伊豆の踊子』をはじめ多くの文学作品に登場するトンネルとして広く親しまれている。
 平成13年6月15日、わが国に現存する石造道路隧道の中で、最大長を有する土木構造物で、技術的完成度が高く、明治後期を代表する隧道であるとして、 道路隧道として全国で始めて重要文化財に指定 された。
 平成13年12月建立。 静岡県

今の金にすると数十億かね。隧道一本に皆が期待をかけたんだ。

迫力ありすぎる。薄暗いと怖いくらいだ

 これだけ有名な観光地のはずなのに、舗装もされていない。だがその意味が途中からだんだんわかってきた。

 ようするに歩いて回らせたいのだ。実際、そのための徒歩コースはとても整備されている。話によれば、どうも旧々天城峠にすらも行けそうな感じだった。

 そして、その方法は正解だと思う。ドライブのついでに寄れるように全面整備してしまったら、おそらくすぐに「汚いただのトンネル」になってしまうだろう。あるいは、小奇麗に整備されて歩道トンネルにされてしまうかもしれない。映画『伊豆の踊り子』や天城越えの音楽と共に。

 それではいけない。この素晴らしい明治隧道は、このままの姿で鬱蒼とした森の中で生きていて欲しいのだ。

 ……その方が、ロマンをかきたてる古隧道にふさわしいじゃないか。

修善寺側アプローチ

 こちらのは駐車場や看板もきちんとしている。下田側のシンプルぶりが信じられないくらいだ。訪問者が多いんだろうね。

 この後は修善寺から三島に出て国道246号で帰った。こちらもずいぶんと久しぶりだったが、旧線が目について落ち着いていられない。特に松田までの区間!あの頃走った道のほとんどが旧道になっちゃってるからね。それに旧隧道(まだ生きてたから廃隧道ではない)も見つけちゃったし。

 うう…… ヤビツ峠→旧道246ツアー でもしようかしらん。

(おわり)


1. 確かに、いつ呼び出しになるかわからない待機仕事だったから仕方ないのかもしれない。だが、それだけであんな、会社と自宅を往復しかしないような半ニートな生活になったわけじゃない。
 ドライブ好きの両親を持ち、借金あろうが家族とドライヴという家で育てられた人間なのだ。確かに私は本来インドア向きなんだけど、休みといえばお出かけという思考は私も魂にまでしっかり書き込まれている基本情報なのだ。なのに、それを何年もやらなくなっていた。
 走らなくなったのは明らかに、税金やら年金やら自分で払う羽目になってからだ。細かい話はあまり意味がないので割愛するのだが、ちょっと事情があってそうなってしまった。それが何年か続いていた。
 
 あれだよ、うん。自分じゃ自覚がなかったんだけど、あの暮らしですっかり精神的余裕がなくなってたのが最大の原因なんだと思う。いい歳こいたおっさんが医療費ケチって病院行けない、なんて情けなさ全開の状況も確かにあったんだけど、それ以前にココロの方が折れてしまってたんだと思うよ。ほんとに。