大釜隧道

 ツーリング途中、全くの予想外に総素彫りかつ100m級の隧道に遭遇してしまった。何者かを調査したのでここに報告する。2009年10月16日の15時頃である。

場所


より大きな地図で 大釜隧道 を表示

レポート

(これが見えた次の瞬間急制動。予備調査ゼロだった区画なので文字通り衝撃の出会いだった)

 国道193号線を知っているだろうか。徳島県に走る国道のひとつだ。

 この国道は、途中で剣山スーパー林道と交差する区画がある。ただしその区画は高度成長の時代に高知県営林署からの要望もあって行われたものらしい。そちらについての話は雲早隧道のレポートで後に触れるのでここでは省略するが国道438号よりも南の区画、つまり高知県との県境に向かうルートはいわば後付けと思われる。

 しかしこのルートを使う事により、国道438号などで祖谷渓を楽しんだ後に剣山につながる山岳を横切り、国道195号線に至る事ができる。今回の私もそれを使わせてもらった。

 峠を高知県側に向かって越える。剣山スーパー林道への二ヶ所の分岐をやり過ごし下っていく。このあたりは完全な山岳国道地域であり急峻すぎる山河のせいで道路を広げる事が不可能に等しい。よって大昔の0.9~1.2車線程度、時にはガードレールすらもないまったりとした峠道をゆっくりと降りていく。

 そんな中にこの隧道、大釜隧道はある。

 しかしなんという姿であろう。呆れたことに (そして我々旅行者には嬉しい限りに) 昭和36年の竣工というが、素人目にはとてもそうは見えない。明治隧道と言われても信じる人がいるのではないだろうか?

 個人的には、確かにこれは明治隧道ではないと思う。明治のものなら職人さんがもう少し滑らかに掘ったろうし、そもそも将棋の駒型(正式にはなんというのだろう?)とか馬蹄型みたいな、大正や明治の隧道に多い形をしていない。素彫りで綺麗なアーチを描く必要はあまりないと思うわけで、これを掘ったのは隧道職人さんというより、もう少し現代的な道路工事の人々ではあるまいか?

 それに強固な岩盤に100mにもなろうという隧道を穿つのは大変な仕事になったはずだ。事実、坑口に覆いも何もないので豪快に見えるが、内壁などをよく見ると昭和中期の素彫り+前後のみコンクリート巻きたて型の量産隧道とそう多くは変わらないようだ。同じ時代に掘られていた旧寒風山隧道にも似ている。あくまでこれは推測ではあるのだけど、このままでもOKだろう、むしろ下手に触らないようにしようという理由で巻きたてがなされなかった「普通の隧道」だったのだろうと思われる。

 高知県側坑口で振り返ると、一車線のR193の景色がひろがっている。

この先はガードレールもない少々危険な「むかしの高知っぽい国道」だ。