寒風山隧道

 国道194号線が開通したのは随分と昔の事になる。

 だが、正直いって現在の与作国道こと439号なんざ裸足で逃げ出すようなとんでもない 酷道 であった。当然「使い物にならない」という声も随分と多く、愛媛県に抜ける自動車国道としてバリバリ使われるようになったというと、それは新寒風山トンネルが完成してからの話である。

 何しろ、昭和39年に通ったうちの両親をして「朝高知を出て、隧道を抜けた時には夕方近かった」というほどだからこの険しさも納得できようというものだ。現在はさすがに改善が進み、関東で言えば国道411号奥多摩街道に近い感じではあるのだが、現在もその改善は続いている。この日も隧道がひとつ前後の道路ごと廃化されたのを見たし、拡張工事の信号もひとつあった。

 だが、昔話を未だに「やれやれ」という顔で語る母はこうも言っていた。

「鬱蒼とした高知の道をずーーーーーっと走って長い隧道を抜けるのよ。するとね、目の前がパアッと明るくなるの。それはそれは綺麗だったのよ」

 それは旅行者の言い分なのかもしれない。だが正鵠を射ているとは思わないだろうか?

 確かにそれは「酷道」だったのかもしれない。

 だが、それでも「 望まれた道 」であったのだろう。

 そして現在、交通量も信号もほとんどないこの国道は、アプローチさえ間違わねば高知・愛媛間をかなりの短時間で結ぶ事ができる。何しろ高知市から県境まで、ほとんど法定速度なのに二時間そこそこで行けてしまったのだから。将来がある意味楽しみである(酷道マニアは寂しいかもしれないが)。

 そんなわけで、その「険しかった」旧寒風山隧道を目指してスタートした。

出発~194号まで

 朝の五時。真っ暗の高知市からスタート。11時くらいにはお見舞いに戻らなくてはならないが、これだけ時間があれば充分に戻れるだろう。 人っ子ひとりいない高知市内を抜けて、国道33号線に。仁淀川を横に見つつ、旧伊野町の大黒天を祀る神社の近くで国道194号に接続した。

 大黒天とはご存知のように、仏門に降りたとはいえインドの破壊神シヴァである。まぁ余談 XD

 そんなわけでぶいぶいと平和に走っていた。途中、怪しさ全開の謎の隧道などに遭遇しつつも何とか登り口に到着した。

寒風山隧道

 寒風山隧道ができたのは昭和39年という事である。当時は確かに画期的だったのだが、1000m近い高所まであがるため冬季に問題があるし、また高知県側の登りのつづら折りがほぼオール一車線のうえにガードレールもつけられないというとんでもない狭さという問題もあった。このため新トンネル開通が強く望まれた。

 そんなわけで新トンネルがつくられた。隧道よりも数百mも下を、今時のトンネル技術で5432mも豪快にぶち抜いた。その長さはもちろん、有料道路や高速道路のそれを除けば文句なく日本最長のトンネルである。開通は平成の事。長い陳情、そして困難を極めた工事の果てである。

(2009年秋現在、寒風山には三本のトンネルが通っている。旧隧道と新トンネル二本(一本は作業坑だが、非常避難用に転用)である)

 だがその長さゆえ、危険物搭載車両などが新トンネルを走る事ができない。そのため旧隧道も方も現在もまだ整備されている。

 入り口は高知県側、愛媛県側もわかりやすい。何しろ「寒風山」と標識が出ているのだ。愛媛側からだと左斜め後ろへの分岐、高知県側からだと、右の側道に入る感じに分岐する。うっかり行き過ぎる可能性はあるとしても、まず間違えようはないだろう。

高知県側坑口

 高知県側の登りはほとんど全域一車線で、とんでもない九十九折れである。時々離合のための空間があるだけで、ガードレールすら存在しない場所も普通にそこら中にある。愛媛県側は(比較的だが)開けている。

 高知県側坑口は他サイトにあるようにロックシェードが取り付けられていた。登山道などの入り口にもなっていて、茶屋、トイレと立派な駐車場がある。行った時には茶屋は営業してなかったが、 そもそも朝の七時過ぎだったので早すぎただけかもしれない。

 朝の八時前だというのに愛媛側からきた車がいっぱいいた。ひとも多かった。登山客と思われる。

 使わなかったから断言しないが、おそらくトイレなどは使用できる。自販機はなかったと思う。

愛媛側坑口

 下の旧道登り口の写真もつけておく。

 愛媛県側はひっそりとしているが、これは登山口もないし茶屋もないためだと思う。寂しい場所だが雰囲気は決して悪くないので心配しないで。

 が、当の隧道内部は真っ暗だし壁面はデコボコなので気をつけてください ^^;