父の思い出のかけらを追いかけてみた。そこにあったのは、軽自動車の通行すらも怪しい、だが立派な古い隧道だった。
右下にある緑色の道路は、海岸線ぞいに桂浜の方に向かう道です。該当する集落は桂浜手前の最後の集落なので特定は容易でしょう。
この隧道は、立場的には後述する浦戸トンネルの旧隧道にあたる。だが名前が違うらしい。また、以下に注意してほしい。
中坂隧道への入り口自体はわかりやすい。浦戸トンネルに向かう最後の分岐で、曲がらずまっすぐ向かう細い側道が右側に走っている。ほとんど自転車道のような広さだが、構わず入って欲しい。
ただしこの先は大変細いし狭いし曲がっているので、四輪車、特に普通車以上は入らない方がいい。50ccか中型までの二輪車、それもトラディショナルなモデルか、あまり腰高でない125ベースの中型オフローダー(セローとかSL223)がいいだろう。
で、途中で左に曲がって山の方に曲がっていくと、ゆるく右カーブしながら隧道に向かうのだが、曲がるところを間違えると残念賞に行ってしまう。それが、以下。
これは笑った。思わず「なんぢゃこりゃあ!」と思ってしまった。
名前はわからない。隧道でなく掘割なんだが落石よけのロックシェードがかけられている。スクールゾーンの表記があるので子供たちを守るためだと思うが、四輪車は走るなと言われずとも侵入不可能である。
この掘割は、途中で曲がらずにいき抜ける(土佐弁で、いくところまで行っちゃうの意味)と存在する「残念賞」。
山ごと崩せないかと部外者は思うかもしれないが、私はこれでいいと思う。なお、四輪もそうだけど大きなバイクも危険。とてもとても狭いので気をつけて。
あと、片側の出口が登山道の狭さのうえに超急峻なので、つんのめったロードバイクの人、誤ってFブレーキかけないで。滑りやすそうなコンクリなので、自爆するかも。
って、その前に行かない?すみません ^^;
気をとりなおして、中坂隧道へ。
浦戸湾側坑。階段は隧道が使えない時に山越えしていたものらしい。
さっきの掘割に比べたらそりゃ天国ですが、こりゃ狭いなぁ♪(←めちゃめちゃ楽しい)
隣の階段と見比べてください。たぶんゴールドウィングでも通過可能と思いますが、あまり背の高いバイクも危険だと思います。
ここの隧道は既に幹線の世界からは外れています。おそらく現在この道をよく使うのは郵便や新聞などの配達業、それと原付おばさんくらいじゃないかと思います。自動車の利用は、普通車が物理的に入れない状況からして、間違えない限りないでしょう。わざわざ危険を犯さなくとも浦戸トンネルを使えばいいのです。
残念ながら竣工年は調査中。
ただ、戦時中に隣の階段が使われた話がありますし、そもそも新道の浦戸トンネルが昭和19年竣工だそうです。それが事実なら間違いなく戦前。馬蹄形という古典的形状からして昭和初期か大正を想像しているのですが。おそらく砂利道だった事でしょう。ここいらは郷土史というか高知の古隧道専門家に聞きたいところですね。(いるのか?^^;)
あと、私自身も曖昧なのですが、父の思い出に「浦戸の方にある狭いトンネル」の話が出た事があります。
浦戸大橋を使わずに下から行けるのか?という私の問いに「行けるが、車が通れないような激狭トンネルがあって、やめたほうがいい」というもの。
父はたぶん浦戸トンネルは知っていたはずだけど、こちらの中坂隧道の頃に来て懲りていたのかもしれません。父は14ではじめて車に乗った(ぉぃ^^;)そうですから。
あるいは、父が言いたかったのは浦戸集落の狭さの方かもしません。中坂隧道の浦戸側坑口付近に大昔の雰囲気が少し残っていますが、昔の浦戸集落の規格は間違いなく自動車向きではなく、車好きの父には「せっかく橋まであるのに、あまり積極的には行きたくない」道であった事でしょう。
昭和19年竣工。浦戸大橋ができるまで、こちらが桂浜の入り口でした。