突然に予定が変わり、僕とセリオは横浜のアパートに戻った。
そのまま北国で正月を迎えてもよかったのだけど、航空券くらい用意してあげるよと上のひとが言ってくれた。ありがたい。北国で何度めかの越冬をするのもよかったのだけど、横浜のアパートの方もそろそろ気になっていたのだ。
そんなわけで、セリオ手荷物事件なんかを経て僕たちはアパートに戻った。
「わたしは部屋の中を引き受けます。大将は機械の整備を」
「了解。手が必要ならいつでも呼んでくれ」
「わかりました」
ほとんどの荷物が北海道に移っているのだが、基本的生活用品類はこちらにある。あくまで北海道は出張先なのだ。もちろんカブもこちらに置いてあった。
まずは燃料を確認しエンジンをかけてみる。しゅかっと踏み込むとエンジンは一発で始動した。さすがはカブ、鉄腕アトムがスクリーンを駆けていた時代から存在するだけのことはある。頑丈だねえ。
そのまま暖気させつつ、軽く汚れを掃除しつつあちこち点検する。
灯火類OK。ウインカーリレーも正常。タマ切れなし。ブレーキも問題ないがワイヤーに注油しておく。
「タイヤの硬化はどうかな」
空気を入れてあちこち押してみる。問題なし。コーヒーの香りがいい感じ……ってコーヒー?
「いかがですか、ますたー」
見ると、コーヒーをトレイに載せたメイドなセリオがいる。メイドのかっこをしたらマスター呼ばわりなのはとうとう決定らしい。
トレイには小さなミルクポットも載っている。
「お、ありがとう」
ミルクポットを使われる前にサッと奪い取ろうとしたのたけど、
「はい。で、この子の調子はいかがでしょうか」
その手を避けつつミルクをちょびっとコーヒーに垂らし、セリオが言う。
「うがー。なんでミルク」
「胃に悪いのはますたーには毒です」
にべもない。
変な子だけど、こういう時は本当にセリオなんだなと思う。クールなセリオのイメージそのままの応対をしてくれる。
マスターに逆らってコーヒーにミルクを入れるのはどうかなとも思うのだが。
ある時代までのロボットは悪くいえば「はい旦那様」しか言わなかった。
だが、介護などをメイン業務にするにはこれではいけない。「ですが旦那様」が言えなくてはならないケースはよくある。また、命令に従うように見せて実は逆らい、しかし長い目でみればきちんと仕事をしている等の融通もきかせる必要が生じるだろう。
簡単にいうようだが、もちろんこれは大変なことなのだ。
はい旦那様、としか言わないロボットは結局電卓の親玉でしかない。「ですが」「いいえ」を実現するには非常にファジーで柔軟性に富む判断力が必要なのだけど、これを為すためのAIの必要習熟度は半端ではないからだ。
だがこの能力こそ、メイドロボを単なるメカニズムからひとのパートナーにまで押し上げている原動力なのだ。
セリオの学習能力はさほど高度ではないといわれるが、それでもオーナーの言葉を自然言語で聞き分け、理解して普通に活動しているのは御存じの通り。実はこれだけで非常に高度な情報処理を行っているのだ。
さらにセリオはその状況から判断し意見も述べられる。それはあくまで人間サイドというよりロボサイドの意見ではあるのだが、いかなる状況でも冷静に判断できる存在というのは結構ありがたいものだ。特に医療の場においてはいつ、どの場所でも名医や経験豊富な看護師がいるわけではないのだから。
セリオにミルクを混ぜられたコーヒーを飲む。微妙にまろやかなミルクの感触のあるコーヒーが僕は好きじゃないのだけど、セリオもよくわかっているのだろう。インスタントを使う時にしかこれはやらない。
だけど、なかなか僕の好きなレギュラーを入れてくれなくもあるのだが。
それはもちろんお金の理由もある。コーヒー代すらケチる生活。これは事実だから今さら恥ずかしいもなにもない。だけどそれがコーヒーをいれてくれない理由というわけではない。
「なぁセリオ」
「だめです」
つーんと顔をそむけるセリオ。
「ちゃんとミルクを使ってくださるのなら、かまいませんが?」
「うう……」
健康を人質にするあたり、やっぱりセリオはセリオなんだよな。