運命とは唐突に、なんの前触れもなく巡り始めるものだ。
この短い物語のラストも、そうしてやってきた。
それはある日、本当に突然の事だった。
「え?伯父さんが亡くなった?」
「はい」
帰省する事は滅多になかったから親戚づきあいなど薄かった僕なのだけど、その伯父さんの家には帰省のたびにお土産もって訪問していた。昔、僕がドラ息子よろしく馬鹿やっていた頃に本気で叱ってくれた人で、いつどんな時でも行けば食事をとらせてくれた。伯母さんの作るごはんは祖母のものに似ていて、それもまた好きだった。
そうか。じゃあ帰省するかと帰省したのだけど、そこから全ては始まったんだ。
貯蓄がなくなりはじめた。
元々僕は貧乏だった。セリオ連れてるのに何でだよと言われそうだけど、実のところセリオはほとんど負担になってない。契約の時に色々見て貰えた事もあるし、ワケありでリース料も激しく安い。何よりセリオが家計を握ってからは食費がべらぼうに安くなった。以前の生活と差し引き計算してみると、純出費などそう大きなものではなかった。むしろ軽自動車の維持費の方が痛いくらい。
にも関わらず、貯蓄は減り続けていた。
最大の理由はわかっている。僕の加齢のために補償費などのコストが増えつつあるためだった。うちの会社はまともな雇用形態をとっておらず、そのために社会保険や年金すらも個人でかけるしかなかった。
いくらセリオがやりくり上手でも、これでは追いつくわけがない。
「このままで行きますと、あと一年半以内に家賃の支払いが不可能になるかと」
ちっとも緊迫してない顔でセリオはそう言った。
これはセリオのせいじゃない。実を言うと以前からセリオに警告を受けてはいたのだけど、どうにも対応のとりようがなく問題を棚上げしていたんだ。それがいよいよヤバくなったんだな。
これはさすがにまずい。手を考えよう。
「車を処分した場合にいくら浮くかな?」
提案してみたがセリオは首をふった。
「現状では意味がありません。車検まで一年と二ヶ月ありますし、法的には貨物車扱いの軽自動車です。諸費用も知れていますし、駐車場代もアパートオーナー様のご厚意でかかっておりません。おまけにこれらの金額は、郊外の量販店で買い物をする事で埋め合わせたうえにむしろ節約ができております。とどめに処分費用も結構かかります」
「そうか。むしろ手放した場合のデメリットの方が大きいんだな」
「はい」
郊外の安売り店買い出しがあったか。そりゃあ確かに被害甚大だ。
実のところセリオは
八面六臂 の活躍をしてくれている。セリオがいるから今の生活水準が維持できているのは間違いないのだけど、さすがのセリオもお金を稼いでくる事はできない。そもそも稼がせてないからね。
だけどセリオに稼がせるつもりはない。男の意地とかではなく。
僕の現状でセリオに稼がせようとすれば、それはうちの会社に行く事になるだろう。それはそれでいいのかもしれないけど、僕はその事に対して批判的だった。理由は簡単で、セリオがうちでやりそうな仕事と言うと、おそらく社外秘に関わる仕事になるだろうからだ。
まさかとは思うが、社外秘情報を盾にセリオを社に引き渡せと言われないとも限らないじゃないか?
僕は今の会社がとても好きだったが、社会保障面の事などを考えるとあまり健全な企業とは言えないかもしれない。その内情にセリオを関わらせる事には不安があった。
くくっ。知らずと漏れた苦笑。
経済問題もそうだが、愛着ある古巣が安心できないっていうのは、なんとも皮肉な話だよな。
「……」
さて、そんな僕の態度をセリオはじっと見ていたわけなんだけど、やがて「ふむ」と意を決したかのように語りかけてきた。
「ひとつよろしいでしょうか、大将」
「なんだい?」
この時僕は気づかなかったけど、セリオは「大将」という呼び名以外が全て標準的なしゃべり方になっていた。後からきいた事だけど、それはサテライトを駆使しつつ並行してしゃべるために、最も負荷を喰わないデフォルトの語彙を用いていたからなんだそうだ。
セリオは何かを吟味するかのように小さなうなずくと、おもむろに切り出した。
「経済的困窮への対策ですので、支出を減らすか収入を増やすしかないと思われます。たとえば私を稼働休止させて諸費用と……」
予想通りの事を言い出すセリオを、僕はやめろと制止した。
「ですが」
「そんな計算しなくていい」
セリオを止めるなんて選択肢があるわけないだろ。
「しかし当面の危機は回避可能です」
「当面は、だろ?」
ここで感情に訴えてもセリオは論破できない。論理には論理、ここはこうやるのが正しい。
「あのねセリオ、君という参謀がいない場合のデメリットを考えてくれないか。僕ひとりでは情けない話、単にじり貧になるだけなんだよ。この危機を打開するのに君の助けが絶対必要なんだ」
「それは」
ほら、君も否定できないだろ?僕には君が必要なのさ。
「おちびさんは最悪止めるのもアリだが、そもそもこの子はコストかかってないしな。ふたりともそのままでいいだろ」
「はい。わかりました」
ちなみにそのおちびさんは今、僕らの目の前で積み木遊びをしている。……なんか貧乏夫婦と子供みたいだな、いいけどさ。
また少したつと、今度はこんな事を言ってきた。
「大将のお給料や保障の方はどうでしょう?」
「そいつは却下された」
「……そうですか」
各種保障がつけば、それだけで月間何万円も浮く。何しろ国保のうえに国民年金を払ってるわけで、そのぶんが浮くからね。額面の給料が数万円下がったとしても結局は割り得だ。
だけど、それは無理だった。
比較的僕に好意的な先輩に相談し、上も巻き込んで話し合いの席も持ってみたんだけど結果はNGだった。会社には保障をいれる余力はなく、またその気もないという事だった。
セリオに違法性も以前チェックしてもらったんだけど……限りなくグレーかもしれないが違法じゃないみたいなんだよな、これが。
「企業は社会保険などに加入する義務を負います。これは基本的な考え方でありますが、同時にいわゆる個人商店と会社形態の境界をどこにおくか、という話になります」
社会保険って結構お金がかかったり手続きも大変らしい。それをたとえば小規模な個人商店に適用されたらどうなるか?
この境界は『従業員数』で定められているのだそうだ。
そう。うちの会社、僕も詳しくはよくわからないけど「従業員はそんなにいない」事になっているらしい。あたりまえの話だが法的にはちゃんと合法なのだ。
もっとも勤務実態は必ずしもそうとは言えないのだから、ここは難しいところである。
だから、たとえば僕が社会保険事務所に勤続を示す証拠を持っていけばひと騒動にはなるかもしれない。違法かどうかなどの判断がどうなるかはわからないけどね。
だけど。
「すまないが僕は行かない。会社に恩があるんだよ」
「それは」
うん、本当はよくない。むしろ恩義があるのなら行くべきかもしれないけど。
「ごめんセリオ。軽蔑してくれてもいいから、ここだけは触れないでくれないか」
大人の事情ってやつなんだけど、セリオは理解してくれるだろうか?
「……」
セリオはしばらく考えていたようだけど、やかせて顔をあげた。
「…わかりました。いえ、軽蔑だなんてとんでもありません。それに今の経済面を言えば、それが次善策かと」
「経済面?」
「はい。事実上解雇されたうえに裁判所などに持ち込まれた場合、経済的に持ち堪えられませんから」
「あー……、そっか」
それは想定外だった。なるほどそういう解釈もありえるのか。
セリオと僕はその後もいくつかの代案を出し合った。セリオの調査能力は凄いものがあるのだけど、細やかな事情の把握となると僕の判断が必要だった。だから自然とセリオがいろんな案をだし、それに僕が口を挟むというパターンになっていった。
「ふう。とりあえず休憩にしていいかな」
「はい。では何か作りましょう」
「ごめんね、頼む」
セリオは仕事ばかりだ。本当に頭がさがるよ。
台所に向かっていったセリオの背中を見てから、僕は窓の外に視線を移した。
「……」
窓の外は、ただ晴れていた。
さて、セリオに全て頼りっきりかというとそういうわけにもいかない。もちろん僕も行動を起こす事にした。ほとんど居ないが少なくともネット友人は少しはいるわけで、彼らの中で親交の深い知人に話をふってみたんだ。
そうしたところ、その知人には『転職』を勧められた。
「経済的困窮というだけでは理由として弱いかもしれない。だが社会保障の問題は君が考えているよりもはるかに大きいと思うんだ。君の持つスキルにもよるけど営業職じゃないって事だし、チャレンジしてみるのもいいんじゃないかな」
「なるほど」
他にも二、三の忠告をくれた。
曰く、慌てない事。何年も放置していた問題なのだから今日明日と慌てても仕方ない。
曰く、転職するからといって今の職場を決してなおざりにしない事。飛ぶトリは後を濁さずだし、転職時に現職場とのトラブルがあるとロクな事にならないからと。
曰く、活動はもちろん秘密である事。既に保障面で交渉しているようだが本来これでも危険なくらいで、とにかく細心の注意を払うこと。
いちいち名言だった。僕はふむふむとうなずいた。
それから最期に、彼はこんな事もいった。
「いっそ、来栖川に相談してみるって手はどうだ?」
「え?それは無理でしょう、僕みたいなの雇ってくれるわけがないよ」
違う違う、と彼は首をふった。
「セリオつながりだよ。特別なセリオと暮らしてるんだろ?いちオーナーに仕事の世話なんて当然してくれるわけもないだろうが、特別なオーナー相手とあれば、スタッフ関連で個人的に口をきいてくれる人がいるかもしれないじゃないか?」
「あ、人脈って事?」
その通りだと彼は笑った。
「悪く言えば君はお人よしの貧乏人だ。だけどその結果として今のセリオとの暮らしがあるわけでしょう?君は理解してないかもしれないけど、それだって君の勝ち取ったものなんだぜ?だったら、それを使う事も考えてみなよ」
「しかし」
最悪、契約解除されてセリオを引き揚げられる可能性だってあるじゃないか?
それに……そういうのはセリオを道具としてしか見てないようで、僕は嫌だ。
だけどそう言うと彼は、
「そうかい?まぁ選ぶのは君だけどね」
なぜか少し楽しそうな顔で、そう返したのだった。
そう。
僕は状況がよくわかってなかった。この時、既に事態は動き出していたのだ。
「……」
彼としゃべっている時、僕のそばにはミニマルチがいた。
いつもなら勝手に遊んでいるミニマルチが、なぜだか僕のそばでおとなしくしていた。セリオと違って日常活動にはまるで役に立たないマスコット的存在なので、僕は気にしなかったのだけど。
そう。僕の会話はそのまんま、この子を通じてセリオにも筒抜けだったんだ。
まぁ、細かい話は抜きにしよう。
唐突に僕の転職先は決まった。まぁ予想はつくと思うがセリオつながりでだ。「そんなんありかよ」と自分でも思うような展開だが事実起きてしまったのだから仕方ない。だが「ちゃんと新しい職場に馴染むまでは全ては前職場には内緒」という事でその全ては伏せられた。
北海道はもちろん、横浜のアパートも引き揚げになった。
親戚まわりの事情を話したところ、帰省まわりの便宜を増やして貰える事になった。どうしても帰郷したいわけではないが、伯父さんがなくなったという事は母の世代がこれから順次、鬼籍に入る可能性がある。つまりこれから帰省は増えるわけで大変ありがたいんだが、引き替えというか色々あって、HM研究所に近いところに転居する事になったのである。
車は処分になったが、代替えもいくつか提案された。まぁこれはいずれ別の話で。
とにかく、僕の生活は大きく変わったのだ。
冬もそろそろ終わり、春の気配が近づいていた。
とはいえ未だ三月も始まったばかり。ひとはまだコートを脱がず、空も灰色だ。僕は前職と大差ない服装で自転車に乗り、まだ暮れなずむ街を走る。
背中にはミニマルチ。なぜかブレザーの制服姿で、きっちりと背中にしがみついている。
商店街を抜けてアパートのある区画に移動する。この街はメイドロボが比較的多くてそこら中に色んな耳センサーが目立っている。そういやセリオの春の装いどうしようかなんて考えていると、タタタッと軽快な音を出しつつカブが一台近づいてくる。二台とカゴには買い物がいっぱい。
「大将、おかえりなさい」
「ようお疲れ。もう戻るのかい?」
「いえ、あと一軒」
「わかった先戻ってる。何かあったら呼んでくれよ」
「はい」
それだけ言うとセリオは、タパパーっと軽快にエンジンを鳴らして去っていく。
「もうちょっとだぞ」
背中のミニマルチに言うと、みーと可愛い鳴き声が返ってきた。
「ふう」
家に到着すると自転車を中に入れる。この自転車は積載性がほとんどゼロなんだが、その代わりに小さく折りたたむ事ができる。これを利用して玄関の中に入れているのである。
「遊んでな。僕は油さすから」
「みー」
工具箱からチェーンルブとウエスを出す。
汚れを拭いている最中も注油の最中もミニマルチはじっと僕の手つきを見ている。以前ならすぐに遊びまくっていたと思うんだが、最近はこうやって興味深げに見る事のほうが増えている。
ミニマルチの頭脳も成長するんだろうか?わからない。だが、どこかで見たような柿色のブレザーにその仕草はよく似合っている。しゃべらない事、手乗りしかねないサイズである事をのぞけば本当に女学生みたいだ。
「ただいま」
ごそごそやっているとセリオが戻ってきた。
「おかえり」
「すぐに食事になさいますか?」
「時間をうまく使えるようにしよう。食後にまったりできる方を優先でね」
セリオは一瞬考えたようだが、
「ではまず材料を仕込みます。寝かす時間がありますから、その間にお風呂にしましょう」
「わかった」
セリオと出会ってから、あらゆる生活が変わった。
たかがメイドロボかもしれない。だけど僕は言いたいのだ。「たかが」という言葉で済ませてしまえるほど彼女たちは小さくない。もちろん人間の女性を上書きする存在ではないが、家族というものが絶えつつある現代社会ではきっと、必要な存在なのだ。
うん、きっとそうだ。
「ん~まったり」
「みー」
やっぱりお風呂はお湯がいいね。毎日というとたくさんお金がかかってしまうけど、何日かに一度はこうしてお湯の風呂に入りたいよなぁ。
そんなこんなを話していると、
「大将」
「なに?」
「一緒に入りましょう」
「おお……ってちょっと待てぇっ!」
なな、なんで君と一緒にお風呂ですか!
「そのほうが節約になりますし、色々と他にも経済的ですし」
何が節約でどう経済的なんだ?あ?
「というわけで入ります」
「いやだからちょっと待て!」
「節約節約、うん、いい言葉ですね大将」
「だから、どこでそういう立ち振る舞いを覚えるんだ君は!」
「もちろん研究所の皆さんに」
「だぁぁぁぁぁっ!!」
(おしまい)