想い出の歌

 ぽんこつの軽自動車でドライブ。

 窓の外は一面の銀世界、そして道路。だいぶ前に信号機を見てからというもの、何もない道路を延々と走りつづけている。道端には時おり集落も見えたりするのだけど、それもずっと続くわけではない。ほとんどの時間は何もない雪化粧の山河の間を延々と走り続けている。

 エンジン音は良好。古いが主機に問題はない。マニュアルなのでギアチェンジをする必要があるものの、町から出てしまえばその操作も実に緩慢になる。のどかな時間がただ、過ぎていく。

「大将。音楽などいかがですか」

「メモリカード持ってきてないんだ」

 この車のオーディオは昔でいうシリコンタイプが主流だ。CDのような機械式の装置はもう廃れた。なくはないが機械式パーツがあると壊れるし、この車には常備されてない。まぁ女の子の車だったわけだし、携帯式のオーディオプレイヤーのカードと共通だったんだろうな。

 僕もカードは持ってるんだけど、最近使ってないから忘れてしまっていた。

「今さらとりに帰るのもばかばかしいしなぁ。70kmくらいは走ってきたし」

「67.4kmです」

「はいよ。つっこみありがとさん」

「というわけで歌います」

「おぉ、その手があったか。アカペラで頼む」

「伴奏はいらないんですか?」

「口伴奏だけは勘弁して」

 セリオひとりで伴奏できるか、といえばこれができる。ロボットならではの技なんだが、セリオのきれいな口元からスーダラ節が流れるようなスチャラカな場面はもうごめんだ。

「そうですか。実はこんなところにミニギターが」

「こんなところもなにも僕が積んだんだよ。それより車の中で演奏できるの?」

 揺れる車の中、という問題はさておいてもギターのような楽器は長さがある。小さな軽自動車の中では演奏しづらいはずだ。

 まぁ、このミニギターならOKかなと思ったんだけど……それでもきつそうだ。

「ちょっと狭いですが演奏方法を選べばOKです」

「そっか。じゃあ何か頼む」

 生演奏を聞きつつ車を走らせる。なんとも贅沢じゃないか。

「あ、ギャグは勘弁ね」

 やっぱりそうか。ち、とか舌打ちしてるし。

「それでは、凝った演奏は難しいので簡単なものを」

「ああ、それでいいよ」

 ミニマルチは後ろで寝ている。今がチャンスだろう。

「では失礼します」

 セリオはミニギターを斜めに抱えると、ちゃらんと軽くひきはじめた。


 セリオの歌は普通にうまい。

 サテライトを使えばプロはだしの歌いかたもできる。だけど熱烈なセリオオーナーはそんなことさせないらしい。だって、それは出来合いのものでしかないからだ。オルゴールのように決まったフレーズを演奏するだけの『歌』なんて聞いてもあまりうれしくは無い。そりゃ普通にうまくはあるけど、それだけ。

 だけど、この時は違ったんだ。

「!」

 セリオが歌い出したのは唱歌。いまどきのひとはまず歌わない古い歌。

 素朴な歌を、決して最高とはいえない拙い演奏で綴る。そのフレーズに僕は聞き覚えがあった。

「セリオ」

「あ、はい」

 途中だったがセリオは歌を止めた。ちょっと残念。

「その歌どうしたの。サテライトにそんな歌入ってるの?」

「いえ、これは前の家のお祖母様が好まれたものです。前のマスターがお祖母様のぼけ防止にと、よくいっしょに歌っておられました」

 記憶は削除してあるはずなのに。……人格情報に食い込むほどはっきり覚えてたのか。

「へぇ……あのさ、もう一度歌ってくれる?最初から」

「はい、わかりました」

 再び懐かしいフレーズが流れ出す。アレンジは独特だったがこれも素朴なものだ。その前のマスターとやらのものだろう。

 もういないひとたち。もう歌われなくなってひさしい歌。

「……」

 僕はそのフレーズに、そっと自分の声を載せた。


『♪春の(うら)らの隅田川 登りくだりの舟人が 櫂の雫も花と散る 眺めをなにに例うべき……』

 なんとも懐かしいセリオのメロディに、僕は男性パートを付け足した。

 この歌は僕の祖母も好んだ。家中でドライブに行くとよく歌ったのだけど、姉貴と僕と祖母で三重唱をしたり輪唱してみたり、いろいろと歌い替えて遊んだものだ。とてもよく覚えている。

 大きくなってから歌の意味を知ると、またそれがなんとも美しいのに驚いた。

 この歌は明治のはじめに作られた。当時の東京は江戸時代そのままで、隅田川にはシジミがあふれ、多くの魚がとれる清流だった。そして街並みの向こうには富士山も見え、春には河川沿いに色とりどりの桜や花々が咲き乱れていたという。

 今はもう失われた景色。それを愛しむ歌。川を進む船頭の櫂の雫までもが花のように美しく輝いているという。今では世界中探してもみられるかどうかすらわからないもの。

「……」

 それは僕も同じだ。祖母もいないし、姉貴もドライブどころじゃない暮らしをしている。独身でひとりぼっちの僕だけが、こんな場所でのんきにセリオと懐かしい歌を歌いつつ車を走らせている。

「……」

 ちょっと切なくなった。

「……?」

 ぺたぺた、と小さな手が頬にふれた。ミニマルチだ。

「ん?どうした?……?」

 ミニマルチはハンカチを持っていた。僕にぐいぐいと押しつけてくる。

「みー」

「!……な、なんだ。気がきくな。ありがと」

 いつのまにか僕は泣いていたらしい。

「……」

 セリオはそんな僕を見てはいなかった。いやたぶん、見ないふりをしてくれているんだろう。

「……」

 おもちゃなみの知能しかないミニマルチ。心の萌芽のようなものはあるらしいが決して気遣いや心遣いまではできないはずのセリオ。

 彼らが心配するほど、僕は落ち込んでいたんだろうか。

 確かにミニマルチは愛玩用であるがゆえ、知能は低いが持ち主の感情の変化には敏感だ。そしてセリオは巷でいわれるほどには杓子定規ではない。

 だけど、彼らが気遣いするとすれば……僕がそれだけ情けないマスターということなんだろうな。

「喉かわいたな。何か飲物ある?」

「先週の安売りで買いました無銘のスポーツドリンクが」

「あれかぁ。ま、いいや。くれ」

「わかりました」


「それではしんみりしたところで」

「スーダラ節はやめなさい」

「そうですか。では渋く」

「トラック野郎一番星も勘弁して」

「むう。いけませんね」

「いけないのはおまえの頭だろうが!」

「大将こそ。では『礼文うすゆきそう』など」

「……どうしてそんなマイナーな歌知ってるかなキミは」

 カニ族の時代の歌だろうがそれ。

「教えてくださったのは大将ですが。では『島を愛す』『旅の終わり』などは」

「20世紀のユースホステルじゃねえっての!」

「贅沢ですね大将」

「だぁぁぁぁ、もうっ!!」



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