愛情

「大将」

 ストーブの前で本を読んでいたら、突然セリオが質問してきた。

 だからどうした、と言われそうだけどこれは結構凄いことだ。僕は本を読む手を休めてセリオの方を見た。

「どうしたの?何が知りたいのセリオ?」

「はい大将。わたしが知りたいのはですね」

 祈るような手つきで歌うように問いかけるセリオ。ふうむ。最近表現も多彩になってきたなぁ。

 だけど、

「『愛』について知りたいのです」

「帰れ」

 前言撤回。やっぱり本を読むことにした。

「大将どうしたのですか?何か問題ありましたでしょうか」

「わかってて言ってるだろセリオ。わかってんだろおまえはぁぁぁっ!」

「はぁ?」

 わけがわからない、という顔で首をかしげるセリオ。

「あのな……よりによって『愛』?そんな質問をおまえ、「実年齢イコール彼女いない歴」でありこのまま1魔法使いどころかワードナ級一直線確実のこの僕に訊くんですか君は?つーか愛なんて僕にわかるわけねーでしょうがこのすかたん!」

「……はぁ」

 ちょっと泣けてきた。

 まぁ厳密にはセリオと「した」ことがあったりするわけだがこの場合やはり、人間の女の子と「して」ないと経験ずみとは言えないと思うんだな。

 差別?いやそういう意味じゃない。僕が人間だから、ただそれだけの理由だ。異種婚・異類婚を否定するわけじゃないけど、同族の女性とでないセックスは「経験ずみ」という意味では微妙だろう。

 え?あーはいはいそうですよ。僕はそういう意味で「童貞」ですよええマジで。こういう時って「人間童貞」とでも言うんですかね。

 泣きそう。

 いやむしろ()きそう。

「ああ、そういう意味ですか」

 なるほど、とセリオはようやく納得したようだ。

「確かに、もてない冴えない意気地もないと、ないないづくしの大将にそれは無理かと思われますが」

「……おまえね、ちょっとは歯に衣着せなさいって」

 なんかね、いろんな意味で死んじゃいそうな気分だから。ええ。

「ですが」

 ん?慰めの言葉でもくれるつもりなんだろうか?

「大将が愛を知らない、という事には私は疑問を覚えます」

「……はい?なんで?」

 なんでだ?

「……」

 セリオは不思議そうに顔を傾け、そして静かにつぶやいた。

「……いえ、気になさらないでください」

「???」

 セリオはそんな、わけのわからないことをしみじみと言ったのだった。


 男が眠りについてもセリオは眠らない。

 幸いにも男の眠りは深い。だからセリオは、眠りこんだ男にふとんをかけてやると、いつものようにデータ整理や掃除をはじめるのだった。

「……」

 押し入れにある古い紙の束を手にとる。

 それは男の手でまとめられていた。半紙や便箋の束だ。そこには鉛筆や筆書きで文章が書かれているのだが、江戸時代もかくやという素晴らしい達筆の草書体で記されている。今は使われない古い方言による記述も見られ、セリオのサテライト機能を駆使してさえも部分的に読めないところがあるほどのものだ。

 セリオはかつてこの文面を男に読んでもらった事がある。戦前の女学校を出たという祖母の書いたものだそうだが、男はその草書の手紙を流暢に読む事ができた。もちろん最初は一割も読めなかったそうだが、大好きだった彼女(おばあちゃん)の手紙を読みたくて独学で草書体の読み方を覚えたのだという。

「……」

 セリオはその手紙の束をじっと見た。

「……」

 そして、眠る男のボロボロの布団やつぎはぎだらけの普段着を見て、

「……」

 最後に、自分のために男がそろえた綺麗な衣装の数々を見た。

 それらの服も新品ではない。だが、男が自分で使っている衣服や布団とは明らかにグレードも手の入りかたも違う。いくらセリオが止めても男が買ってきてしまうため、自然とそういう状態に落ち着いているものだ。

「……」

 セリオは男をじっと見た。

「貴方が愛情を知らないはずがありませんよ大将。仮にもしそうなら、それは自覚がないということなのでしょう。貴方はただ、それがあたりまえだと思っているにすぎないのです」

 そう。

 遠隔地に住む大きな孫のため、いつもいつも手紙と四季折々の田舎のたべものを送り続けた男の祖母。そして、そんな祖母の手紙を読むためにわざわざ、古典でもやらないと使い道のない草書の勉強までした男。

 きっと祖母は少しボケていたのだろう。現代人の孫がそんな達筆の手紙を読めないなんてわからなかったのだ。だが男は祖母の手紙が読めないという事実が嫌だった。そして苦労の末、難しい草書の手紙を独学で読めるようにしたのだろう。

 不器用すぎる、しかし真摯な、確かな愛情のやりとり。

 今はもういないその女性の影響を男も強く、強く受けている。だからこそセリオを助けんと奔走したのだし、食費すら削ってセリオに着せて飾ってやるのだろう。

 セリオは機械(ロボット)。どれほど愛しても人間の女性のように愛を返してくれるわけがないのに。

「……いえ、違いますね」

 この男も今はなき男の祖母も、見返りなんか期待しちゃいないのだろう。やりたいからやっている、それだけなのだ。

「愛とは与えるもの、見返りを求めないもの。そういうことなのですね」

 すやすや眠る男の髪を、そっとセリオは整えた。

「……」

 男はただ、無心に眠り続けていた。


1.魔法使いどころかワードナ級一直線 :: ネット用語。童貞のまま三十路を越えた男を魔法使いと揶揄するもの。具体的な由来は不明だが、意味としていえば、巫女などの神職の女性がしばしば処女である事に由来するのかもしれない。ワードナ級とは古典ゲーム『Wizardry』に登場する最終ボスにして強大無比な大魔導士ワードナの事で、還暦すぎても童貞、いやそれどころか一生童貞という者をしばしば指す用語。多くはまぁ情けない意味で使われるが、宮沢賢治のように生涯童貞だった偉人もいるわけで、そういう意味の「慰めと激励」の意味も少しは含んでいるようである。



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