季節がめぐり、高校生の僕には進路を決める時期となった。
まだまだ受験生というには早すぎる年代なのだけど、時間とは待ってくれるものではない。そんなわけで希望進路について僕達は書いたり相談したりすることになった。
「ふむ」
いくつかの志望校について、僕はその資料を見ていた。
最初、僕は別に無理に進学する必要はないと思っていた。家から離れるのはイヤだし、なんならフリーターもいいなと思っていたからだ。アルバイトが気楽とかそういう意味ではない。いろんな仕事を経験したうえで、地元密着のやりがいのある仕事をみつけられたら……そんなことを考えてもいたのだった。
だけど。
「なにを言ってる。おまえの成績ならよほど高望みをしない限りどこでも入れるんだ。せっかくなんだからいい大学を選べばいいじゃないか」
僕は成績だけは常に上位にはりついていた。間違いなくせりなのおかげだろう。
「先生、僕は地元で仕事がしたいんです。いい大学なんて行っちゃったらそれがかなわないかもしれないじゃないですか」
ふむ、と先生は顎に手をやり考え込んだ。
「なら、そうだな。工学系に進むのはどうだ」
「工学系ですか?」
「そうだ。おまえ機械は好きだよな」
「はい」
せりなと暮らしていることを機械好きというのなら、確かにそうかもしれない。子供の頃から父さんのバイクいじっていたこともあるしね。
「隣の東鳩市には来栖川HM研究所がある。あそこに入ることを目標にすればいいんじゃないか?最先端の仕事に関われて、しかも家から通えるぞ」
「はぁ」
確かにその通りだけど……そううまくいくもんなのか?
「先生、そううまくいくものだとは思えませんけど」
「そうだなぁ……」
少しだけ先生は考え込んで、
「よし、じゃあ当の研究所員に相談してみるというのはどうだ」
「そんなことできるんですか?」
そんなの、よほどのコネがないと無理だろうに。
そういうと先生はにやりと笑い、
「こう見えても元クラスメートがあそこの職員なんだ。おまえが本当に話してみたいなら連絡をとってやってもいいぞ。約束する。どうだ」
確かに興味はあった。
「お願いします」
「わかった」
僕は先生に頭をさげた。先生はどこか嬉しそうに笑った。
本当、親切な担任でよかったよ。
「おい西野」
先生と別れて廊下を歩いていたら、なぜだか進路指導の仁村に声をかけられた。
「はい、なんでしょうか」
「すまんがちょっと手伝ってくれないか。進路関係の書類整理をしたいんだが、ちと数が多くてな」
はい?
「あの先生、なんで僕なんですか?そもそも、生徒の僕がそんな書類触ってたらいろいろとまずくないですか?」
「ああ、まずいな」
「ですよね、では失礼します」
「あぁ待て待て」
仁村はいつになく熱心だった。
「こっちも手が足りないんだ。いつも頼む先生方は補習やら進路相談でてんてこまいだからな。皆、受け持ちの生徒たちを少しでもいい道に進ませてやりたいと手を尽くしているわけなんだが」
「はい、僕もありがたく思います。今はその気持ちを少しでも勉学に向けたいと」
「まぁそういうな。さ、こいこい」
「先生……僕は便利屋じゃありませんよ」
「そう言いつつ手伝ってくれるからなぁ。おまえは本当にいいやつだよ西野」
「ちぇ」
仕方ないな。
僕は小学生の頃から、こんな感じで先生の手伝いをすることが多かった。どうも「そういうキャラクタ」だと認識されているのかもしれない。たいがいはパシリのような肉体労働でなく書類整理とかそういう類の雑務が多いんだけど、僕は僕でそういう立場を利用して職員室で先生たちとだべったり、そういう空気が嫌いじゃないからますますそれは加速してしまう。
きっかけはたぶん、僕の家が離婚してからだと思うんだけどね。先生たちにしてみれば「目の届くところで構ってやる」がだんだん変化してそうなっていったんだと思う。おかげさまで僕は生徒のくせに妙なところで顔のきく便利な奴になってしまっている。
いや実際、出入りの業者にまで覚えられてる一般生徒って何者だよ。
「……先生。これマジ?」
「マジだ。大学の案内書から会社案内まで各種揃っている。まぁ就職関連は俺の範疇じゃないが、大学関係でも結構あるぞ。これをコピーしなくちゃならん」
「……」
僕は首をふった。
「先生、これ絶対に紙じゃないとダメ?」
「なんだ?」
「こんなのコピーするのも大変だけど配るのも大変だよ。しかも紙がもったいない。さらにいうと、生徒はこんな大量に見ないよ。それぞれ興味のある大学や会社だけだろ」
「それはそうだが、一般生徒みなが見られないとだめだろう。この場合は無駄でも仕方ないな」
そりゃそうだけどさ。
「写真が多いみたいだし、スキャナーで取り込んで校内どこからでも閲覧できるようにしたほうがよくない?そうすりゃ皆、ほしいのだけ印刷するだろ。その方が早いし綺麗だよ」
スキャナーでの取り込みは時間がかかる。だが生徒ぶんいちいちコピーするよりは断然早い。
実際、そうしたほうがいいという声は毎年出ていた。
「それはわかるが、やりかたがわからん」
だぁぁぁ……そりゃないだろもう。アナクロなんだから。
「わかった、そっち手伝うよ先生。スキャナは生徒会室だっけ?」
「そうだが……よしわかった、おまえは書類をわけててくれ。俺がスキャナは運んでこよう。むりやり引っ張ったうえにそこまでさせるわけにもいかんからな」
「了解、じゃあ僕は掲載用のプログラムとかもセットアップもするよ。わかるから」
「おぅ、さすがだな西野。よしそっちは任せた」
「調子いいなぁもう」
「ははは、すまんないつも」
やれやれ。
作業がすんだ頃には夕方になっていた。
しまいには仁村どころかHRを終えた先生まできてくれた。ついでにコンピュータ研の部長まで駆り出され、僕たちはやっとこさ書類の取り込みと掲載の準備を終えた。
「あいかわらずそつがないな。西野もコンピュータ研くりゃいいのに。歓迎するぞ」
「遠慮しときますよ。僕はUNIXの直行概念ってのはどうも苦手で」
「それがわかるってことはできるってことさ。実際おまえ、マシンに潜って具合の悪いソフト直したりもできるじゃないか」
まぁ、確かにCGIの不備をちょっと直したりはしたけどね。
「あんなのはハックというんです。きちんと設計されたプログラムじゃないですよ」
「自覚がないのもねえ……まぁそれが西野の味ったら味か」
くすくすと部長は楽しそうに笑った。
「おいふたりとも、めし食うか?」
「あ、俺いいです先生。コンピ研に戻りますんで」
「僕もいいです。そろそろ帰らなくちゃ」
「おまえら欲がないなぁ。ったく、他の連中に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ」
「おだててもダメです、たくもう」
「はっははは」
楽しそうに笑う仁村に、僕達は肩をすくめた。
「んじゃ帰ります」
「おぉ西野、遅くまですまなかったな。明日遅刻すんなよ」
「はい。じゃあ部長」
「おう。またな西野……ってちょっと待て」
「はい?」
「俺もそこまでつきあう」
珍しいことにコンピ研の部長までいっしょに出てきた。
僕と部長は資料室を出て、階段にむけて歩きだした。
外はもう暗かった。僕たちは特に会話もないまま、とぼとぼと薄暗い廊下を歩いていた。
「西野。気をつけろ」
唐突に部長はつぶやいた。
「おまえが『ふたり暮らし』なのを問題視している奴がいるらしい。最初は生徒間の噂かと思っていたが……どうやら違うみたいだ。身辺に注意しろ。いいな」
「部長?なんで?」
どうして唐突に部長がそんなこと言い出したのか、わからない。
「俺んちにもあいつがいるの知ってるよな。俺もおまえ同様、餓鬼の頃は弟みたいにして育てられたクチだ。だからおまえの事情が少しはわかるつもりだ」
「うん」
それは知ってる。僕と部長が知り合ったきっかけはそれだったから。
階段にさしかかった。僕は階段を降りる、部長は渡り廊下にいく。ここでおわかれ だ。
「西野」
「……」
「俺たちにとってあいつらは身内だ。そうだろう?あいつらはただの道具ではない。大切なパートナーであって家族なんだ。
だが、そうでない奴にとって俺たちは不気味な異端者にすぎん。それは家族であっても変わらない。
いやむしろ、悲しいことだが家族こそが最大の敵となりうる。なまじ近い存在であるがゆえに、彼らはきっとおまえたちを引き裂こうとするはずだ」
「……部長?」
部長がひどく悲しげに感じる。どうしてだろうか?
「西野。いいことを教えてやろう」
「……」
「彼らのことは彼らにきけ。知ってるか?あいつらはつながってるんだ。それは通常、 彼らだけで閉じたネットワークを構築していて部外者は誰も割り込めない。ひとは誰も彼らのネットには干渉できない。
だが、おまえが彼らに近い立ち位置ならば、それが許されているはずだ」
「部長。人間はメイドロボのネットにはアクセスできないよ」
「そういう意味じゃない」
うむ、と部長は頷いた。
「彼らのことは彼らにきけ。それだけだ」
それだけ言うと、
「じゃあな、急いで帰れよ」
そういって、僕が止める間もなく部長は去っていった。
「なんなんだ」
僕はふと、こんな言葉をもらしていた。
僕は夜道を歩いていた。歩きながら考えていた。
まわりはすっかり夜だった。夜空に星がまたたき、静かな夜だった。
「……メイドロボはつながっている、か」
なるほど、部長の言葉は確かに事実のように思えた。
みっちゃんが希ちゃんの年格好を知っていたのはきっとそのせいだろう。明らかにど こかから情報を得ているわけで、それはきっと僕に関連するデータだからなんだろうと 思う。だってそうだろう?いくらデータをやりとりしてるからって全ての経験を共有できるわけがないんだから、それは自然と自分に関連する周囲のデータが中心になるはずだからだ。
みっちゃんは商店街の子だし、僕はそこを行きつけにしているうえにせりなと暮らしている。どういう基準かはわからないが、それは知るべき価値ある情報だったんだろう。だから知っていた。そういうことだ。
だが、わからないことがある。
僕がせりなと暮らしているのは結構知られている。うちの生徒だって僕と親しい人間は知っているはずだ。先生が僕を機械好きと見ているのもそのためだし、別に僕もあくまで隠しているわけじゃない。そのせいで嫌がらせをうけたり馬鹿にされたこともある。それは前にも部長と話してお互いに知っていることだ。
なのに、どうして今さら部長は警告してきたのか。
最大の敵ってどういうことだ?誰かが僕とせりなの静かな暮らしをわざわざ妨害にくるっていうのか?
なんのために?
「……まてよ」
待て。ちょっと待て。
「家族って……!」
その瞬間、僕の脳裏に母さんの顔が浮かんだ。
僕は家に向かって駆け出した。