子供っぽいのは外見だけ……そう気づくのに長い時間はかからなかった。
マルチさん(ちゃんづけは失礼だと思う、うん)は外見こそモーニカと変わらないHM-12だったけど中身は本当に別物だった。その物腰のひとつひとつに大人の女性の年輪を感じ、だけど他の大人とは明らかに違う何か、不可思議な雰囲気も持っていた。
あとで知ったことだけど、マルチさんは世界最高峰のAIでもあるということだった。
人間のカタチを与えられたまま十年単位の時間を生きる独立AIなんて世界中探しても彼女の他には誰もいない。彼女は、ただ生きてそこにいるだけでふたつと得られぬ貴重なデータを人類に対して提供し続けているわけだ。そしてそのデータはもちろん、モーニカみたいなHM-12やHM-13たちにも生かされているし、今研究が続けられている更なる次世代メイドロボの研究にも欠かせない存在なのだという。
究極の類人ロボット。ひとの隣にたてるパートナーにして全ての人型ロボットの女王にして長女。
人類にとってそれは、火の発見にも等しいもの。
その偉大な存在は、にこにこと楽しげに笑いながらわたしとモーニカを連れて廊下を歩いていた。
「あの」
「はい?」
「どこに行くんでしょうか」
「うふふ、ロボットのわたしに敬語は変ですよ希さん?」
「あー……でも年上だし」
「そうですか。……なるほど、そういうものかもしれませんね」
おっとりと語るマルチさん。気のいい小さなお姉さんといった感じだった。
「本当は食堂がいいんですけど、おりいったお話と伺ってますから。ひとのこない建物の中の方がいいと思ったんですよ。わたしの作ったものなんかですみませんけど」
わざわざ食事まで作ってくれているらしい。わたしは恐縮したのだけど、
「気になさらなくてもいいですよ。ひとりぶんもふたりぶんも大して変わらないですから」
「ふたりぶん?」
「はい」
「……それはもしかして、藤田浩之様でしょうか」
沈黙していたモーニカが口を挟んだ。
ふじた……ひろゆき?誰?それ?
「マルチお姉様のパートナーの方です希様。以前お話したことがあるかと思いますが」
「あ」
つまりそれは、このマルチさんとゴールインしちゃった男性ってことか。
「あの……それってお邪魔なんじゃ」
そういうと、そんなことないですよとマルチは笑った。
「浩之さんはおともだちが多い方なんです。皆さんわたしたちには随分と好意的な方たちばかりで。だからお客さまのいる日はいつも楽しくなるんですよー」
「そうなんですか」
ちょっと意外でもあった。
ひととロボットが結ばれる。それは確かにロマンかもしれないけど、わたしにはもうひとつの気持ちもあったのだ。
つまり、ひとと普通にコミュニケートのとれないタイプの男性なんじゃないかと。
「どんな人たちなんですか?」
ふと思ったことを聞いてみた。すると、
「えーとですね。浩之さんのおさななじみの方とか高校時代のお友達とかです。女の方が多いですね」
「女の人なんですか?……変なこと聞きますけど、その、それって」
「はい。一時は大変でしたよ」
うわ、あっさり認めちゃった。それもあっけらかんと。
「いろいろありましたけど、でもそれは仕方ないことだと思います。だってわたしはロボットだし、浩之さんをふくめ皆さんは全員人間です。皆さん浩之さんのことをとても、とても心配されました。特に幼なじみの方……あかりさんとおっしゃるんですが、あかりさんなんて大泣きしながらわたしに手をあげました。喧嘩ひとつしたことのない優しい方なのに……。それでも浩之さんを心配するあまりそんな行動に出てしまわれたんですね」
「……あ、あの」
「はい?」
「も、もういいです」
「そうですか?」
「はい」
話だけでおなかいっぱいです、はい。
全員、なんて言うからにはひとりやふたりじゃないんだろう。おさななじみだというその『あかり』さんだってきっと本来は優しいひとで、ただその浩之さんが好きで好きで仕方なくて、ロボットなんて選んでしまった浩之さんが痛ましくて、マルチさんさえいなければ……そんなことを考えてしまう自分に泣いたんじゃないだろうか。マルチさんの言うようにケンカひとつ知らない優しいひとだったとしても、人間ならそういう感情は当然あるんだから。
あたりまえだ。だってロボットだよ?自分の好きな男性がロボットをパートナーに選んだなんて……そりゃあショックだよ。どんな温厚なひとでもびっくりするだろうし、気持ちを確かめずにはいられないに違いない。
マルチさんがなまじこんな「いいひと」なのもこの場合きっと問題になる。火に油を注ぐようなものだ。きっと人によってはその「やさしさ」にすら怒り狂っただろう。
まだ子供とはいえわたしも女のはしくれだ。その光景をなんとなく想像できた。だけど、できたからこそ聞きたくなかった。
淀みや歪みを受け入れられない……今にして思えばそれはつまり、わたしがそれだけ子供だったということだ。
「ひとつだけ聞いていいですか?」
「はい?」
「つらくなかったですか?」
理性は「愚問だ」と言っていた。いかに女の子っぽくても彼女はロボットだ。ひとを愛せるほど進んだ知性を持っていたとしても、そんなことでつらつら人間のように悩みはしないだろう。感情的にならないのはロボットの美点であり、欠点でもあるはずだ。
だけどマルチさんの答えは、わたしの予想を完全に越えていた。
「そりゃあ辛かったですよ」
「え」
思わず見あげたわたしの目にマルチさんの顔が映った。だけどそれは、愁いに満ちた大人の女性の顔でもあった。
わたしは一瞬、足元がゆらぐような不安を覚えた。
「希さん。ロボットに憎しみや嫉妬がわかると思いますか?」
「……」
わたしは無言で首をふり否定した。でもそれは「わからない」というより「わかってほしくない」に近いものだった。
だけど、その微妙な違いすらマルチさんは理解できるみたいだった。なんともいえない苦笑いをしたからだ。
本当に彼女、ロボットなの?
「そう思いますよね普通。わたしもかつてはそうでした。昔のわたしは確かに、憎しみやら嫉妬やらという感情は知識として知っていても理解はできませんでしたから。でも今は」
「……わかるん、ですか?憎しみや嫉妬が?」
「……」
マルチさんは何も言わなかった。ただ複雑な笑みを浮かべてみせて、そして、
「ほら」
「え?……あ」
ふとマルチさんは窓辺に手をやった。
窓辺には小鳥がいた。マルチさんがそっとかけた手に小鳥はピクッと反応し、そしてパッと飛び立ってしまった。
???わけがわからない。
「鳥さん、逃げちゃったでしょう?」
「あ、はい」
だからなんだというのだろう?
「希さん。モーニカさんが同じことをしたとして、鳥さんが逃げると思いますか?」
あ。それは。
「……逃げない、かも。邪魔したり驚かせたら別だろうけど」
「はい、そうですね」
そうだ。
モーニカが庭の花に水をやっている時とか、頭に小鳥がとまってたり、上で休んでたりすることがたまにある。
それはつまり、モーニカが悪意のないロボットだからってこと?
それじゃあ、今のマルチさんは……?
「さぁ、わたしにもわかりません。なにしろわたしのようなロボットは前例がありませんから」
マルチさんは小さく肩をすくめ、悪戯っぽくうふふと笑うのだった。
食事の時間は楽しいものだった。
マルチさんの相方である藤田浩之さんという男性は、もうそろそろおじさんといっていい歳のひとだった。だけど義兄と違ってカッコよさが全身から滲みでているようなひとで、語り口も軽妙で嫌味のないひとだった。
昔はもてたんだろうなぁ。こりゃ確かに騒動になるわけだ。
「そっか。で、希ちゃんはそのお兄さんのことが気になっちまってるわけだ」
「その言い方は大変、非常に、不本意ですが、あえて言えばそういうことかと」
微妙に下世話な感じを含んだ発言に、わたしはきっぱりと否定を返した。
わたしの身も蓋もない強調発言に、あっははは、きついなぁと藤田さんは笑った。
「でもそれ、たぶん心配することないとオレは思うよ。なぁマルチ?」
「そうですねぇ……わたしも浩之さんの意見に賛成です」
マルチさんは藤田さんにおかずを追加してあげつつ、そんなことを言った。
あっさり風味の海鮮サラダ。お味噌汁にごはん。和風中心だけどヘルシーさが滲みでるようなメニューだった。
「お兄さんにとっては、そのせりなさんというセリオさんは家族なんだと思います。希さんにとってモーニカさんも似たようなものでしょう?」
「まぁ、それは」
さすがに『家族』と断言するほどには思ってない。だけどモーニカはわたしのモーニカだ。他の何者でもない。
だからわたしは、曖昧に肯定した。
「オレも高校時代は親が家にいなくてさ、だからそいつの気持ち、なんとなくだがわかるよ。たったひとりの家って寂しいじゃん。でもマルチがいるだけで本当に楽しくなった。きっとそいつもそんな感じなんじゃないかな」
ふむ。
「希ちゃんもそんな気持ちになったことないか?オレの時よりずっと年下みたいだし、そういうのって子供であるほど強いと思うんだが」
「それは」
そう言われるとわたしは弱い。だって、わたしの家が無人なのは昼間だけで、わたしは完全ひとりぼっちなんて暮らしは経験がないからだ。物心ついた時にはモーニカがいたし。
でも確かに、それはきっと寂しいものだろう。モーニカがいてくれる事が今以上にありがたいに違いない。
「ま、心配ならちょっと連絡してみればいいさ。妹がわざわざ心配して来てくれるなんて兄貴冥利につきるってもんだし、きっと悪いようにはされねえと思うしな」
似たような経験があるのだろうか。藤田さんは懐かしそうに目を細めた。
「そうですねえ。あ、でも長居はよくないかも」
「なんでだ?マルチ」
「……浩之さん、進歩ないですねえ。まだこりてないんですか?」
「っておい、なんか目が怖いぞマルチ」
「ふふ、なんでもないですよー」
「あるだろ、思いっきりあるだろ!」
あはは。途中から痴話喧嘩になってるし。
でもそっか。わたしだってモーニカと常にふたりっきりなら今より親しくなって当然なのかもしれない。義兄さんがそうであるように。
その意味でいえば、確かにあれは不思議じゃないのか。
「ありがとうございます。なんか疑問が解けました」
「そうか?」
「はい」
「ん、そっか」
藤田さんは小さく笑い、そしてマルチさんに「おかわり」を出した。マルチさんはにっこりと笑い……でも少しだけごはんをよそった。
「なんだよ、大盛りにしてくれよマルチ」
「食べすぎです浩之さん。可愛い子がいると楽しくて食が進むのはいいんですけど」
「誤解を招く発言はやめろマルチ。いやなんかメシうまくてさ」
「おだててもダメです」
「ち、わかったよ」
あはは。
う〜ん……でもやっぱりなんかかっこいいな、このひと。子供みたいにしょげてる姿までいちいちサマになってる。
こんなひとを一人占めにしているマルチさんが、ちょっと羨ましい気もした。
だけど。
わたしは経験が足りなかった。だからこの時、大切なことに気づくことができなかった。
結局この日わたしは、義兄に逢わずにモーニカと家に帰った。
「マルチ」
「はい、浩之さん」
少女が去ったあとの研究所の一室。マルチと藤田浩之が顔を見合わせていた。
「すまねえが調べてくれねえか、あの子の兄貴とやらのこと。なんならセリオにも応援頼め。必要なら……そうだな、オレの名使って先輩も引き込め。いいな」
「わかりました。わたしもそれがいいと思います」
「そうか。観察力はオレよりマルチが断然上だからな。おまえがそう思うんなら、やっぱりちょっとアレだな」
「はい」
浩之は悲しそうに眉をよせた。
「こんな予感、当たってほしくねえんだが……一応調べておこうぜ。調べてどうなるもんでもねえけどさ」
「何かあった時すぐに動けるようにですね。わかりました」
「悪ぃ、頼んだ。オレも長瀬のおっさんに事情説明したら手伝うからよ」
「はい」