かっこいいと思ったわけではない。単に興味があっただけ。
お父さんともクラスの男の子たちとも彼は違っていた。清潔だけどやぼったい服装。きちんとしているけど流行とはほど遠い髪型。はっきりいってイケてない、そのあたりはお父さんや男の子たちの方がまだマシなほどだった。
義理のお兄さん。わたしのお父さんとは違うお父さんをもつ兄。今まで知らされることのなかった存在。
ううん違う、それは本当の理由じゃなかった。
確かに当時のわたしにとって義理の兄というのは未知の存在だったけど、はっきりいって実物の彼は幻滅だったといっていい。ちっともかっこよくないんだもの。まだ子供だったわたしは、彼を一瞥しただけでたちまち興味を半分なくしてしまった。少なくともその時のわたしはそう思っていた。
わたしが惹かれたのは、モーニカと彼の対峙する姿だった。
『僕がきたことで余計な厄介をかけたみたいだね。悪かった』
『とんでもございません。御迷惑をおかけしてしまいました』
それは、わたしの知らないモーニカだった。
あんなに女の子らしく
モーニカはわたしの宝物だった。
物心ついた時にはすでにモーニカがいた。両親は共働きで平日は朝以外ほとんどひとり。わたしにとってモーニカはただのロボットではない。ロボット嫌いの母さんと違い、わたしにとってモーニカは大切なおともだちだった。モーニカのことならなんでも知っている、それがあの頃のわたしの誇りだったのだ。
だからこそ、わたしの知らないモーニカに驚いた。わたしのお願いに背いて勝手に食事の用意をしたり、母さんにまで意見を述べるモーニカ。ありえない。モーニカはわたしの言うこときかないことも確かにあったけど、家庭内に摩擦が起きるようなことは極力避ける傾向があったのも事実だ。両親が共働きで家族全員が揃うのが朝だけという家庭事情の中では、関係にヒビが入ると後々まで尾を引くということをモーニカは理解できていたんだと思う。とりわけ母さんを不愉快にさせることを承知のうえで言いつけを破るなんて、まずありえないことだった。
その、ありえないことをモーニカにさせてしまったひと。義理の兄。わたしが教えないのにモーニカの名前をいつのまにか知っていたひと。
興味がわいてしまったのも仕方のないことだろう。
「モーニカ、お兄ちゃんの家わかる?」
「わかりません」
なんで調べもしないで即答するんだろう。不快に思った。
あぁだめだめ焦らない。渋るモーニカに折れさせるにはこんな事でめげちゃダメ。ここからが本番なんだから。
「どうして調べもしないで返事するの?いつものモーニカならまず調べてくれるよね?」
そう返すとモーニカは静かに頷いた。
「奥様から禁止されておりますから。以前のお宅のことを希様にお教えするなと。これは悪意ではなく、前の旦那様のことを希様に知ってほしくないのだと思われます。どうかご理解を」
「希だって、お母さんの前の結婚相手なんか知りたくないよ。わたしが知りたいのはお兄ちゃんのこと。それに、あっちのお父さんはもう死んじゃったんでしょう?わたし、知らないひとの写真とか家なんて興味ないよ?」
「ならば、タイスケさんご本人とどこかでお会いすればいいかと」
「お兄ちゃんに迷惑かけたくないの。わたしがただ知りたいだけなんだから」
「それはプライバシーの侵害になる可能性があります。推奨できません」
「うん、そうでしょ?だから家にいきたいの」
モーニカは決して賢いわけではないけど、やはりロボットだ。理路整然と攻められたら大概の人間は負かされる。思考パターンが違うから、人間相手のような論破が通じないことがあるからだ。
知性に対抗するには知性で。子供心にもわたしは、メイドロボと戦うのは力でなく理論であるということを知りつくしていた。
しばらくの間、わたしはモーニカと不毛な会話を交わした。ほとんど禅問答のような
だけど。
「わかりました。では少々お待ちください」
そう言ってモーニカはメンテナンスパソコンに向かった。しばらくどこかと通信していたかと思うと、
「希様」
「なに?いまさらダメなんて言わないよね?」
「言いません。ですがひとつだけ条件があります」
「条件?」
はい、とモーニカは静かに答えてから、
「タイスケさんのお家に伺う前にある方にお会いしていただきます」
「はぁ?」
そんなことをモーニカは言ったのだった。
そのひとを知りたいと思えば、そのひとの生活を知ればいい。それは至極あたりまえのことで、当時のわたしはそれをそのまま実行しようと思ったわけだ。
セリィスト、つまりメイドロボを家族として共に暮らす人という言葉がまだなかった時代。メイドロボがただの機械でなく自我らしきものをもつ特異なものであることが一般どころか専門家の間ですらハッキリとは自覚されてなかった時代の話だ。他ならぬわたし自身がセリィストのはしくれであることをわたしは知らなかったわけで、だから兄の不可思議な部分もまた理解できなかった。他人を知ることで己を知るという言葉をまだ理解できない年頃だった。
モーニカはそんなわたしの矛盾を理解していた。メイドロボは
確かにHM-12は安物ロボット。だけど主人に意見を言い反論してくるロボットが原始的なわけがないではないか。ただ人間の側がそれを理解できてはいなかった、それだけ。
真実を知っていたのは本能的にマルチやセリオを遊び相手に加え始めた幼児たち、そして義兄のような『セリィスト』だけだったんだろうな。
「あれ?ここって?」
「はい。来栖川重工HM研究所です。東鳩市中心部の来栖川製メイドロボに対しては、定期メンテナンスに訪れる場所としても機能しています」
モーニカはいつもと変わらない顔でそう言った。
鉄筋コンクリートの地味で大きな建築物だった。複数の建物が広い敷地の中にあって、間は学校のような渡り廊下で結ばれている。間の空間には駐輪場や中庭らしきものが見えて、たくさんの人間が歩いている。よく見るとその中にはメイドロボも混じっているのだけど、町で見掛けるメイドロボたちと比べてもさらに違和感がない。多くが職員と同じ制服を着ているせいなのだろうとわたしは思った。
モーニカは警備員に話しかけ、そして警備員が頷きインターホンを操作した。
「研究室。藤田さんはそちらに?あぁ藤田さん、奥さんいる?あはは違うの?あぁはいはい、奥さんにお客さん。うん、女の子とHM-12。名前はえっと、もなかちゃんだっけ?」
「モーニカです」
そんな甘党みたいな名前ではない。
「ああそうそう、モーニカだって。アポがあるらしいんだが……ああ、よろしく」
不思議な場所だった。
モーニカが誰とわたしを会わせようとしているのか、わたしはまだ教えられていなかった。そこらへんをモーニカは内緒にしたまま、ただわたしをここに連れてきたからだ。
しばらくして、わたしはその意味を知ることになった。一台のHM-12がわたしたちのところにやってきたからだ。
「こんにちはモーニカさん。直接お会いするのははじめてですねー」
「……」
にっこり笑うそのHM-12を見た瞬間、わたしは猛烈な違和感に襲われた。
このHM-12、本当にHM-12なんだろうか?
確かに外見はHM-12だ。他の社員と同じ灰色の作業服を着た彼女は確かにHM-12に見えた。いやむしろ、単に外見を言うならばうちのモーニカの方がよほど普通の女の子だろう。わたしと同じデニムの上下を着ているし、耳センサーと緑色の髪の毛を別にすれば、目の前に立たない限りはモーニカをメイドロボを見分けることなんかできまい。
だけど、彼女はモーニカとは決定的に何かが違っていた。
おそらく、何も知らないひとが彼女を見たらコスプレか何かだと思うだろう。HM-12そっくりの女の子が髪を染めて耳センサーをつけているにすぎない、そう考えたと思う。何しろ面と向かって会話してもメイドロボには見えない。緑色の髪や耳センサーを目の前に見ている今この時でさえ、わたしにはどう頑張っても彼女がロボットだとはとても思えない。小柄な女学生と言った方がきっと納得するに違いない。
そんな彼女は、わたしの方を見てまたにっこりと笑ったのだ。
「はじめまして、希さんですね?わたしはマルチと言います」
マルチ。HM-12型の商品名そのままの名前。
不思議だ。ここまで人間と変わらない凄いHM-12なのに、モーニカみたいな固有名を持ってないなんて。
「ここでお話もなんですから、中に入りましょう。仲田さん、わざわざありがとうございますー」
警備員にまでお礼するマルチ。警備員もまた、にこにこと彼女に笑いかえす。
「いいよいいよ。それよりお客さんを案内してあげな、藤田ちゃん?」
「うふ、ありがとうございますー。でも藤田ちゃんはちょっと……その」
「照れない照れない。ほら行きな」
「はい、どうもです」
彼女はわたしとモーニカにめくばせし、わたしたちは歩きはじめた。
「……希様」
ぼそ、とモーニカが小声でつぶやいた。
「なに?モーニカ」
「マルチお姉様の名はモデル名ではありません。なぜならお姉様はわたしたちの長姉であり『最初のオリジナル』だからなんです」
「へ?」
最初のって……え?
「ここだけの話にして欲しいのですが……お姉様はHMX-12試作型メイドロボといいまして、私たち量産型の妹とは別物なのです」
「試作……!!」
わたしはその瞬間、ぎょっとしただろう。
試作型HMX-12。最初のマルチ。モーニカたちの一番上のお姉さん。ロボットでありながら人間のわたしよりも年上の存在。
人間と恋にまで落ちたメイドロボ。ひとの作りし
それは昔、寝物語にモーニカに聞いたひとつの伝説ではなかったか。
「こっちですよー」
「……」
そのロマンチックな伝説が今、大きめの作業服の袖をぶんぶんふりながら無邪気にわたしたちに『おいでおいで』をしていた。