カタチ(2)

 懐かしい駅から出た時、空はもう暗くなっていた。

 もう何年も来てなかったそこは郷愁すらも感じさせるものだった。まだ夫婦仲も壊れてなかった新婚当時、お互いの忙しい合間をぬっては駅前をふたりで散策したものだ。それは穏やかで心地よい記憶で、私は思わず立ち止まりそうになった。

 すう、と大きく息を吸い込み深呼吸した。気持ちいい。

 気を引き締め直すと、上着の裏にある重みを確認する。ちらっと覗き込み、待機の青ランプがついている事も確認する。

 準備はOK、業者にも連絡ずみ。うちの子はまだ学校に残っていて、まだすぐには帰ってこない。

 遠くを見回すと、あの日から何度かの打ち合わせで確認した車が見える。ナンバーも間違いない。

 何もかも揃った。さぁ行こう。

 ぶるっと一瞬ふるえて、そして歩き出そうとした瞬間だった。

「こんにちは」

「!」

 声に振り返ると、そこにHM-13『せりな』が立っていた。当たり前だが昔のままの姿で。


 どうして、せりながここにいるのか?一瞬混乱した。

 後から考えれば別におかしな事ではなかった。せりなは息子の留守を守っているのだから、何か足りないものを買いにきたわけだ。ここはまさに最寄りの駅前なわけだし、その事自体は別に変でもなんでもない。

 だがギョッとした。

 それはこれからやろうとしている事のためだと思う。犯罪の前にその現場を押さえられたかのような、居心地の悪さがあった。

「あらお久しぶり。買い物かしら?」

「はい。少し違いますがそのようなものです」

 何気なく聞いたつもりだったのだけど、返ってきた『せりな』の言葉に違和感を覚えた。

「少し違うがそのようなものって……ずいぶんと抽象的な返答をするのね」

 ちかちか、と視界の外で車の指示器が点滅した。あっちでもこのHM-13が目的の機体だと気づいたようだ。指示を求めている。

 わたしは迷わず右手で眼鏡を直した。『続行』の合図だ。

「抽象的、ですか」

 対する『せりな』は私の言葉を反芻しているようだった。

 まぁいい、ずっとあの息子についてる機体なんだから、それなりに成長しているのかもしれない。深く考えない事にした。

「ま、ここで会ったのも何かの縁でしょ。そこの公園までついてらっしゃい」

 そう言うと『せりな』は「はぁ」とまるで当惑するような返事をしてきた。

「それは問題ありませんが、何かご用があってこちらに来られたのではないのですか?」

 そうよ、あんたをスクラップ送りにして息子を取り返すためにね。

「ええ。でもその用の半分はあなたなのよ。あなたのマスターの母親として、少し聞きたい事があるの。最近のあの子の事でね」

 なるほど、そうですかと『せりな』は頷いた。その顔にいっぱしの保護者めいたものが見えて、私はひどく不愉快な気分にさせられた。

 機械のくせに親気取りかい。しかも私の息子の!

 不合理な思考なのはわかっている。そもそもこいつは機械なんだから、親気取りもへちまもないだろう。おかしいのは機械でなく私の方だ。

 だけど、そんな理屈以前に頭にきた。何より母親としてのプライドにかちんときた。

「まぁ立ち話も何だから、ちょっとつきあいなさい。すぐ終わるから」

 生意気にも機械は少しだけ逡巡し、そして『わかりました』と答えた。


 公園は闇の中に沈みそうになっていた。

 遠い昔、ここを通りかかった時に微笑ましいちびっこカップルを見たことがある。彼らが何かをスコップで埋めていた木は今や大木となっていて、森も当時より蒼く深くなっていた。広がる闇に半分溶けて、必要以上におそろしい巨大なもののように見えている。

 まぁ、あの頃中学生だった私も今やおばさんだ。変わって見えるのは時間帯のせいだけではないのだろうな、とその薄暗く巨大な木を見上げて思った。

 中ほどまでやってきた。周囲には誰もいない。

 ここはいい公園なんだけど、少子化のせいでこの時間帯は人が少ない。幼児づれの母親がくる時間でもなく、そろそろ物騒な時間帯でもあり通行人は街を遠回りする事が多い。まさにエアポケットのように人がいなくなっていた。

 ここがダメなら家まで足を伸ばすつもりだったけど……これならここですみそうね。

「さて」

 そろそろ本題に入る事にして立ち止まった。『せりな』もそれに合わせるように足を止めた。

 改めて向かい合うと、HM-13が本当に美少女の姿なのがよくわかる。こっちはあれから随分歳をとったというのにこいつは全然姿が変わらない。男好きのしそうな腰や大きめの胸も、実にあざとい設計だ。どんなキモい野郎が図面を引いたのだろうなんて一瞬考えてしまう。気分が悪い。

 (きたな)らしいロボット、こんなものが息子を誘惑して縛り付けているなんて!

 息子、今助けてあげるからね。まっといで。

「御用とは何でしょうか?」

 そよ風のような静かな声で我に返った。落ち着け私。

「ああごめんね、ちょっと考え事をしてたものだから」

 そうですか、と小さく頷く『せりな』に私はズバリ切り出した。

「あなたにひとつ提案なんだけどね。来栖川に帰る気はない?」

 はい?と『せりな』は首をかしげた。

「すみません、おっしゃる内容はわかりますが、ご事情が理解できません」

「わからないの?簡単なことじゃないの」

 どんな成長をしたのか知らないが結局は機械だ。人間の心の機敏などわかるわけもないし、ましてや嫉妬や憎悪といった人間のもつ暗い情動ももちろん持ってはいない。人間は綺麗事だけの存在ではないのだけど、それを機械が理解できるわけがない。

 破壊してやらなければ、そう思った。だって私はあの子の母親なのだから!

「あの子も高校生よ。あといくらもしないうちに大学生になる。そろそろ外の世界に目を向けなくてはね」

 私はフフ、と笑った。機械相手に笑うのも妙な話だと思うのだけど、自分でも止められなかった。

「だけどせりな、いえHM-13、あなたの存在が邪魔になってしまっているのね。私とあの人……死んだあの子の父親はとても立派な親とは言えなかったからその点はとても感謝しているんだけど、そろそろ潮時だと思うの」

 腕組みをしてHM-13を見下ろした。実際私の方が少し背が高かったから、自分でもちょっといい気分だった。

「私はあなたのマスターではない、だけどあの子の母親だしあの子はまだ未成年だわ。当然その未来に責任を持ちたいと思っているの。あの子が普通に人間の女に興味を持ち、立派かどうかはわからないけど一人前の人間として生きられるようにね」

 もったいつけたようにウム、と頷いてみた。

「どうかしら?ロボットのあなたに人生が理解できるとは私も思ってないけど、あの子のさらなる成長のためにあなたが去らねばならない、その点については理解できると思うのだけど」

 まさか理解できるとは私も思っていない。理解できるとすれば唯一「マスターの利益になる」という点だけだろうと思う。まぁ理解できなきゃ奥の手もちゃんと持ってきているのだけど。

「……」

 はたして、HM-13は少し黙ったかと思うと口を開いたのだけど……それは、

「お断りします」

 きっぱりと、そう言ってきたのだ。


「……えっと、今なんていったのかしら?」

「お断りします。そう申し上げました」

 ……はい?

「私の言った意味がわからないのかしら?つまり、うちの子の未来のためには」

「失礼ながら貴女の言葉には、致命的な矛盾が存在いたします。従う理由もございません」

 意味がわからない。このガラクタは何を言っているのか?

「まず第一に、貴女はわたくしがタイスケ様にとり『人間の女の代用品に類するもの』であると理解されていると推測されます。しかしそれは根拠のない誤解です。実際タイスケ様は以前学校のお友達の方に好意を抱いておりました。残念な事に実る事はございませんでしたが。
 これにより『外の女に興味を持たない』という貴女の懸念は無用となるでしょう。
 成長うんぬんに至っては、いくらお母様といえどもタイスケ様に失礼ではないでしょうか?タイスケ様は立派に成長なさっておられます。幼少の頃こそ庇護対象としてお守りする必要がございましたが、現在ではわたくしの業務は家内の切り盛り以上の事はほとんど無用となっております」

 へえ、それは知らなかった。恋愛まで経験したのならばなぜ親の私にそれを話さない?機械のあんたが知っているというのに?

 するとHM-13は肩をすくめた。ひどく人間臭いしぐさで!

「それは違うでしょう。タイスケ様は男の子です、健全な男の子ならば母親に初恋の相手の事など知られたいものではないでしょう。話したとしてもそれは同性の兄弟、あるいは父親にという事になると思われます。
 わたくしも直接聞いてはおりません。ただ側にいたのでそれと知れたにすぎません」

 それを聞いた瞬間、私の中で何かがぶちんと切れた。

「もういいわ。だまりなさい」

 そう言うとHM-13は口を閉じた……が、なぜかすぐに口を開いた。

「申し訳ありませんが、そろそろ時間が押し迫っております。タイスケ様にお会いになられるのならば家にいらっしゃっていただけますでしょうか?
 そうでないのならば、申し訳ありませんがまた後日という事に」

「ならないよ」

 ポケットの中に手をいれ、『それ』をさぐりあてた。おもむろにスイッチをいれる。

 びく、と目の前のHM-13が動いた気がした。だがもう遅い!

「これでおしまい、消えなさい!」

 そう言うと同時に、ポケットから出したものをHM-13の胸に向けて突き出した!

 だけどその時、

「!」

 横から伸びた一本の細い手が、私の突き出した器具をむんずと掴んでいた。



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