そのオフィスは、郊外のマンションの一階で営業していた。
メイドロボが世に出た頃、最初に取扱いはじめたのは車のディーラーだった。彼らは電動車いすや障碍者用の
結果、修理や大規模メンテナンスには来栖川のセンターや提携ディーラーで、もっと細かいメンテや調整はさらにその出張所やこうした小さなショップでという形態になった。ショップはメイドロボの購入や買い替えの窓口としても機能しており、『おわかれ補助業』なる新しい業種もまた、そういうカタチの中から生まれてきたのだろうと思われた。
人型ロボットがひとの暮らしを支える……数十年前には夢物語だった世界が、今ここに実現してしまっていた。
「なるほど。ご苦労お察しします」
作業服を着込んだ勤勉そうな初老の男性が、女性の言葉に静かに頷いた。
「メイドロボが高度化し、家庭の中に深く入り込むようになってからこの手のケースは増えています。老朽化した旧式を買い替えたいが子供が納得しないといった定番のものから、果ては旦那さんが奥さんを顧みなくなり、ひいては家庭崩壊に結び付くといった悲惨なケースまで。メイドロボにまつわる悲劇もまた時代に添い、増加の一途をたどっているのです。
メイドロボに携わり暮らしている私たちとしても、それは望まぬ事態といえます」
「……ナカさんの知人だから、筋違いを承知であえて言わせてもらうんだけどさ」
女は渋い顔で男性に目を向けた。
「なんだってああも人間の、それも女そっくりにするんだい?別に男でもいいだろうし、なんなら手足の生えた歩くカカシみたいなのでもいいじゃないか。昔のハリウッド映画のロボットみたいにさ」
「ああ、それは単純な理由ですね」
男は首をすくめた。
「まず介護業務のしやすさです。メイドロボに女性タイプが圧倒的に多いのは、ソフトな印象をひとに与えるからです。これは統計でもはっきり数字で出ております。
また看護業務は時として腕力も重要です。ですから女性にとって不利な場面もありますが、メイドロボの場合人間の性差の問題は意味がありません。
余談ですが、同じ意味で軍事ロボットは男性の姿が選ばれます。精悍な印象が求められるからですね。偏見と言われればその通りなのですが、その偏見こそが重要な分野でもあります。
「なるほど、イメージの問題というわけね」
女はビジネスマンでもある。だからイメージの効力を確かに理解していた。ビジネスの世界ではイメージは重要、いやむしろ実態よりイメージの方がはるかに大切でもある。
だが、女はもちろん納得したわけではない。
「随分と後ろ向きよね?だったらわざわざ女の姿になんかしなくても『これがロボットだ』って姿を世の中に認知させればいいだけじゃない?そりゃあ時間はかかるでしょうけどできない事じゃないわ。セールス目的で女の姿が必要なのは最初の過渡期だけで充分でしょうに。
結局、デザイナーの趣味の問題じゃないの?」
たとえば架空の世界の話ではあるが、アジア人なら誰でも知っている青いロボットなんかはいい例だ。ずんぐりむっくりしているし家事などできないロボットではあるが、あれに敵意を抱く人は滅多にいない、という意味でイメージ戦略としては成功だろう。
女はそんなことを考えつつ、ざっくりと反論した。
男はゆっくりとそれを肯定するように微笑んだ。
「なるほど趣味ですか。顔や体型などの造型面ではその可能性は否定できませんな。
もっとも『実用に足るロボットのデザイン』を考えるというのは大変なことなんです。家庭用にしろ業務用にしろ、人型ロボットは『人間のデザインでないとできない分野』で活動しているのです。あの顔だって体型だって、ちゃんと意味があるのですよ。
限りなく人間を模倣し、しかも人間でない実用デザイン。確かにおっしゃる事はわかるのですが……それを実際にデザインするのは途方もなく難しいといわざるをえません。
おそらくそういう研究も進められているとは思いますが、身を結ぶのはまだまだ先のことでしょう」
「人間のデザインでないとできない分野ぁ?」
あからさまに懐疑的な女に、男は真面目な顔で頷いた。
「考えてください奥さん。
家庭内の電化製品、業務用の設備。果てはレジのキャッシャーや銀行のATMに至るまで、これらは基本的に人間が使うようにデザインされているんです。もしロボットのデザインが人間とまったく違うのならば、ロボット用にまったく同じインフラを全て再構築しなくちゃならない事にもなりかねない。
しかしこれは汎用ロボットの立場としては完全に本末転倒でしょう。
そもそもメイドロボが人間の姿になったのは汎用ロボットだからです。メイドロボはPOSや全自動洗濯機みたいに特定用途に特化するわけにはいかない。そして人間の町で最大限に汎用性を発揮するには、当然ですが人間のカタチが一番向いている」
「なるほど」
女も頷いた。
「でもそれなら『人間のカタチ』だけでいいわけでしょう?ブリキ人形かカカシみたいなので充分いけるんじゃない?」
「ああわかります。でもそれはダメでした」
「『でした』?」
男は、女の疑問に頷いた。
「優秀な人造皮膚が発明される前、そういうデザインも試みられたんですが見事に失敗しているんです。建設現場や工場に配属され、オペレータとして使われたんですが……どうなったと思います?」
女は肩をすくめた。男は苦笑すると、
「座席にうまく座れないんですよ。結果、建設現場で『墜落死』する人型が続出です。笑えないでしょ?」
「はぁ?シートベルトは当然してたんでしょう?なんでそうなるの?」
「ダメです。シートベルトはあまり使えませんでした」
「どうしてよ」
「滑っちゃうんです」
「は?」
「だから、つるつる滑る金属やプラスチックのボディではうまくひっかからないんですよ。ビニールや布製のシートもね。全てとは言いませんが何割かの乗物ではそれが元でテスト中に大惨事になりました。
そもそも乗用機械の座席もシートベルトも、結局は平均的サイズの『人間』を想定しているんです。それは体格だけではない。衣服の摩擦係数や体の柔軟性、体重ももちろん考慮しています。座席だけではない。乗り降りするステップも、視認するためのミラー類に至るまで、その全てが人間工学に基づいて設計されている。
あの人造皮膚だってちゃんと理由があるんです」
「作業服みたいなの着せればいいじゃない」
「皮膚自体に摩擦が発生しないとダメです」
「なんでよ」
「振動テストしたら、シートに服をとられて中身だけスッポぬけました」
「……じゃあ顔は?」
「ちなみに頭髪は頭の保護、顔はサングラスをかけられるようにするためです。メイドロボの目はカメラですから、直射日光はあまりよくないんですよ。露出をいじったりデジタル処理すればってわけにはいかない。
余談ですが、顔も皮膚も装備するからにはきちんとリアルに成形しないとダメです。マネキンを想像してください。あれがそこらを闊歩してたら不気味でしょう?」
「……ホラーねそれは」
想像するとちょっと間抜けでもある。
だが、どれも確かに笑いごとじゃないだろう。特に運転中。ひとを載せていてカーブですっぽぬけたら大事故にもなりかねない。
男の話は続く。
「技術陣が出した結論は『人間をもっと正しく模倣しないと安全に乗れない』でした。人間を守るというのは乗用機械の安全設計の基本ですが、メイドロボもそれにあわせる必要があったという次第です。皮肉な話ですが」
沈黙が流れた。
「……変な話していい?」
「はい、なんなりと」
「極論になるけどさ、そこまでしてロボットを使う必要性あるわけ?そりゃ介護業務などで必要なのはわかってるけど、こんな社会の隅からすみまで入れる必要は」
21世紀のはじめ、破綻した保障制度を人間の介護者で間に合わせようと計画した政治家がいた。だがそれは見事に破綻してしまった。
簡単である。介護能力のある人間の数に対して、介護を必要とする人間の方が鰻登りに増え続けたからだ。結果として一部の金持ちしか介護も医療も受けられなくなり、町では放置され悲惨に亡くなるお年寄りが爆発的に増えはじめた。
しかし、それがメイドロボの一部によって急速に解決しつつあった。
メイドロボは確かに安くない。だがアパートの大家がメイドロボを巡回させている場面も最近よく見るようになっている。大家にしてみれば管理業務のためだったり、アパートで孤独死なんか出たら困るから導入しているにすぎないのだが、メイドロボを買えない貧乏な老人にとってはこれ以上ありがたい存在はない。
安物のメイドロボでも住人の異常を発見し、病院に連絡するくらいなら余裕でこなせる。放置される事だけは絶対ないし、たとえロボットでも若い女性の姿で「こんにちは、おかげんいかがですか」と声をかけてくれる存在というのは嬉しいものだ。実際、メイドロボ社会をもっとも歓迎しているのは一人暮しのお年寄りであった。
だが、それを知ってなお女は疑問を感じている。
そして、その疑問を理解している男も頷いた。
「奥さん、あなたやそのご家族がうまく暮らしていられるのはなぜです?旦那さんも貴女も共働きで帰りが遅い。その間のお子さんの御世話は誰がなさっているのです?」
あ、と女も頷いた。
「そうですよ奥さん。つまりそれがロボットのいる理由です。
ひとり暮らしの少年にロボットが必要かどうかはともかくとして、小さなお子さんを抱えた共働きの核家族にはロボットは極めて有用だ。そうですよね?」
「……」
男はにっこりと笑った。嫌味のない笑いだった。
話は仕切り直しになった。
「話を戻します奥さん。
私たちは、もちろんあなたのお気持ちを変える必要はないと考えます。さきほどのロボット論も確かに事実ですが、息子さんの側にいるロボットをなんとかしたい、そのお気持ちも決して間違いではないと私も思うからです。そしてそのロボットの存在が気に入らない、これも誤りだとは思いません。
そのうえでお伺いしますが、息子さんのロボットを引き揚げなさる、そのお気持ちは変わらないのですね?」
「……ええ」
女は少し考え、そしてはっきりそう答えた。
ふたりがそんな会話をしている間に、その後ろで若い技術者がせっせとコンピュータのキーを叩き続けていた。手元には女の書いた書類一式が置かれている。何かを検索しているようだ。
技術者の雰囲気が変わったのに気づいたのか。男はふりかえり、若者に声をかけた。
「どうだ?」
「正直、ちょっと厳しいですね」
技術者は腕組みをした。
「メイドロボの所有権情報ですが、亡くなった父親からオーナー権の相続も完了しています。この場合、いかに実のお母さんでも所有権を書き換えてメイドロボを処分してしまうのは非常に難しいです。戸籍は抜かれてるんですよね?」
女は頷いた。
「息子さんは法的には『児童』つまり18歳未満です。実のお父さんが亡くなられている以上、この場合お母さんにはまだ親権が残されているはず。たとえ現在戸籍を抜いてあっても、かつて母親であった事はわかりますから。これを盾に処分を試みることは可能です。
ですがこれだと法的に息子さんと争うことになってしまいます。しかも判例がありませんから、時間もかかりますし結果も不透明ですね。
未成年相手の裁判は正直おすすめできません。近年、虐待絡みの裁判なども多くてこういう場合に親の立場は不利になりがちですし……」
技術者はそこまで言ったところで、女の顔色が変わったのに気づいて言葉を止めた。
「……」
「すみません」
「いえ、いいのよ。現実をうやむやにぼかされるよりはずっといいわ」
すまなそうな顔をする男と技術者に、女は苦笑した。
「法的な問題はわかりました。で、ぶっちゃけどうなのかしら?
わたしの個人的問題は置いといたとしても、あの子にメイドロボが悪影響を与えているのは客観的事実だと思うの。そもそもあの年代なら普通、女の子に興味をもったり趣味に興じたり、あるいは大学に行くために勉強していたりが普通だと思うんだけど……女の姿のメイドロボにべったりで他に関心を示してない、というのはいくらなんでも問題でしょう。母親としても到底看過できないし、法的に争うのは時間がかかるからこの場合意味がない。
最悪、法的問題を飛び越して荒療治、なんて方法も考えたいところなんだけど……どうかしら?まぁ、わたしが器物破損の罪に問われちゃうかもしれないけどまぁ……それは仕方ないわね」
女はそこまで言うと、静かにためいきをついた。
「わたしは母親だもの。あの子に普通の人生を歩ませるためならその程度なんでもないわ。うちの会社の方にも事情は伝えてありますし」
憂いを秘めた母親の顔だった。
男たちはそんな女の顔を感慨深い表情で見ていたが、
「お気持ちわかりました。手段をご提供しましょう」
「!」
え、と驚いたように顔をあげた女に男は微笑む。
「はっきりいって違法な手段ではあります。ですが構いません。さすがに私たちが手をくだすわけにはいきませんから、最終判断と実行はお母さんにご一任する事になりますが」
そこまで男は言い、そして言葉を区切った。
「繰り返しますが、これは違法な手段です。お母さんのリスクは大変大きいですし、厳密にはわたしたちも責任を問われる可能性があります。
ですから、決定はお母さんのお気持ちで決めてください。それだけのリスクを払っても息子さんを助けたいか、そこのところを真剣にお考えになって結論を出してください。
よろしいですね?」
「……ええ、わかりました。少しお時間くださる?」
「もちろん、かまいません」
そんな会話がかわされていた。
外はただ、ひたすら穏やかな晴天だった。