愛情(1)

 母の愛とは強いものだ、なんていえば失笑を買うかもしれない。

 愛が強いならばどうして子を殺す母がいるのか。パチンコ屋の駐車場でわが子を死なせてしまうような親が本当に子を愛しているなんていえるのか。そうした声が出るかもしれない。

 だがあえて言おう。愛が強いからこそ、なのだと。

 母の子に対する愛は他者への愛とは違う。子は母が生み出したものだから、母親の気持ちとしては子は自分の一部のようなものであるといえる。だからこそ母にとってはいつになっても子供は子供なのだ。

 問題は、その愛情が一方的になりがちということ。子はもちろん固有の生物であり個性ある人間なのだが、一部の母親はそれが頭で理解できても心ではまだ理解できていない。つい自分の延長のように考えてしまう。車のドアも開けられない赤子が炎天下の車の中で耐えられるわけがないのに大丈夫だと思ってしまう。子供の判断力でわかるわけがないことを求めてしまう。結果として車中に置き去りのまま死なせてしまったり、烈火の如く怒り狂い虐待に走ってしまうようなことが起きる。

 子供にとっては悲しいことで、世間的にも痛ましいことだ。だが本当にその母親だけを責められるのだろうか?子供への愛ゆえに勉学をさせていたのがいつのまにか、自分の虚栄心とすりかわっている親とどこが違うのか。単にベクトルが違うだけで根は同じものを持っているのではないか。

 だからこそ、そのありえない事件は起きた。


 賑やかな喧騒がオフィスビルの中を包んでいる。

 たくさんのOA機器。建ち並ぶブースの間を歩く人間とロボット。それはよくあるオフィスの風景であり、働く人々の姿は活気に満ちていた。

 そんな中、ふたりの女が話をしていた。

「『おわかれ補助業者』?なにそれ?」

 聞いたこともない怪しい名前に、ひとりの女が目を点にした。

「はやい話がリサイクル業者なんだけど、知ってるでしょう?メイドロボって完全な人型だから普通に捨てると色々あるわけよ。特に事業所なんかならいいけど家庭内の場合はね。子供達の前でメイドロボをトラックの荷台に投げ込むわけにもいかないでしょ?」

「……なるほど、リアルなマネキン捨てるより性質(たち)悪いわね。トラウマになるかもね」

 なまじしゃべり、動きまわる人間大のものだけに始末が悪いだろうと女は思った。

 だが同僚は「それだけじゃないわよ」と眉をしかめた。

「家庭内で活動しているメイドロボの場合、なかば家族のようになっているケースも多々あるわけ。ペットと同じよねこうなると。子供たちを納得させるのが大変だから、きちんと人間のように『おわかれ』するの。もちろん簡単なことじゃないから専門の業者が筋書きを提供するんだけどね」

「たかが機械なのにまぁ。ばかばかしいというかお金の無駄というか」

 女の反応に、同僚はためいきをついた。

「私が言うのもなんだけど、あんた他人(ひと)の事いえるの?息子さんのロボットのことで悩んでたじゃない?」

「それは」

 確かに悩んでいた。

 前の夫の子。ひとりっ子でもあり離婚時に自分がひきとろうとしたが、色々と事情があり弁護士に親権をあきらめることを勧められた経緯があった。法的には他人かもしれないが、血縁上は確かに自分の息子である男の子。

 その前の夫が先日なくなり、彼女は息子と共に暮らさないかともちかけたのだけど──。

 ふたりの前に立ち塞がったメイドロボ。

(ガラクタのくせに)

 自分が仕切っていた家を仕切るメイドロボ。機械の分際で息子の信頼を一身に受け、前夫の葬儀は実質そのメイドロボが管理していた。母親のように息子をいたわり、傷心の息子から片時も離れず付き添っていた。

(ガラクタのくせに)

 普段は頭もよく仕事のできる女だが、息子のこと、ロボットのことになるとその明晰な頭脳は働かないようだった。イライラするのを止められない。

 そんな女を見て、同僚は同情するかのように苦笑した。

「ほらほら、あんたがそんなだと私らも困るのよ。うちの女どもを束ねて戦力にしている要なんだからね。人事の方からも『問題があるなら協力しよう』って声かかってるのよ?知ってる?」

「……」

 女は、うーんと唸りつつ腕組みをした。

 彼女は現場の人間だった。男女平等のお題目が進みすぎているこの社会では、いまや男性より女性の方がやる気さえあればいくらでも出世することが可能だった。にもかかわらず現場に留まり活動する彼女は『横の精鋭』と呼ばれる。彼女の会社が風通しのよい社風を保っているのは、彼女のように立場にとらわれず、縦割りの構造をものともしない優秀な社員が要所要所に配置されているからでもあった。

 彼女はいわば、肩書のない重役だった。いやむしろ肩書がない事こそ彼女の存在意義だ。人事も戦略面で彼女のような存在を重要視しているから、その功績に比例して彼女の給料は悪くない。

 そんな彼女に同僚は微笑む。

「息子さん引き取りたいんでしょ?」

「そりゃもちろん」

「確か、その息子さんはメイドロボ連れて一人暮しなのよね?」

「サコ。だからってメイドロボ処分すりゃいいってもんじゃないでしょ」

 そう言いつつも女の心は揺れている。

「高校一年だよね?確かに遅すぎるかもしれないけど、家まで遊びにきてくれたし義妹さんも懐いてるんでしょ?まだチャンスはあると思うよ?

 それに、息子さんひとりぼっちでしょ?まだ高校生なのよ?かわいそうじゃない」

 それを可能にしているのはメイドロボだ。

 高校生くらいになれば、条件さえ揃えば一人暮しくらい可能だろう。だが彼女の息子はたぶんそうではない。葬式の日に息子を見た彼女は確信していた。

 メイドロボがいなければ、あの子はひとりでは暮らせないだろう。

 メイドロボさえいなければ、あの子は素直に甘えてくれる。

 メイドロボさえ……。

 メイドロボさえいなければ。

「……」

 彼女の心のどこかで、ずるりと暗い影が動いた瞬間だった。

「どう?相談してみる?」

「……話だけならね。でも信用できるの?その業者」

「うちの系列だから大丈夫だよ。社長は中島専務の同期だって」

「ナカっちの友達?んーわかった、ちょっと聞いてみるわ」

 うんうん、がんばってと同僚は満足そうに笑った。いつも貧乏くじの気のいい友達を(いたわ)る、仕事を越えた優しい笑顔がそこにあった。



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