来ないでください。芹緒はそう言った。
芹緒の態度は、いつもの彼女とは少し違っていた。もっと真剣な…というか、僕がはじめて芹緒を起動した時の、無機質な微笑み…とでもいうか、それによく似ていた。
そして、なんとか返事を返した僕に微かに…しかし彼女としてはせいいっぱいの微笑みを浮かべると、芹緒は工場の門に対峙した。
『…緊急事態モード起動、モードC。対格闘戦およびゲリラ戦モードをダウンロード許可…確認。インストールスタート』
いつもの声よりいくぶん機械的な…通常は利用されないせいだろう…音声が響く。
……って、モードCって何?僕も知らないぞそれ?
『…本HMは只今、全ての行動規制を開放いたしました。危険ですので不用意の接近はお避けください。以降、任務達成により作戦終了するまでの間、本HMは他者の殺傷を含めたあらゆる行動束縛から開放されます。繰り返します。危険ですので不用意の接近はお避けくださるようお願いいたします…』
「……」
あまりの芹緒の豹変に絶句している僕の側で、ノンちゃんがつぶやいた。
「モードCは、巨大地震や核攻撃を想定した非常にクリティカルな事態にのみ発動するモードです。」
「それはモードBの事だろ?」
「一般のHMでしたらその通りです。私が装備しているのもモードBまでです。モードCを搭載しているのは本来、軍や機動隊、海上保安庁等に所属する特殊な屋外活動専用HMのみのはずです。なぜなら彼らは時として戦闘行為を行う必要があるため、そうした人身を含む対象にむけた破壊行為の抑制を外さねばならないからです」
「……」
「これは機密事項ですから明仁様が知らないのは当然です。それに私たちHM-13ですら、トリプルオーがモードCを搭載していたというのは初耳です。私達姉妹では唯一、試作型のみが関係各所へのプレゼンテーションのため搭載していた、という認識でしたので」
「……」
芹緒の目の前で、工場の巨大な門がググ、ギィ〜という音と共に少し開いた。
「…私が侵入した後、この扉は再び閉鎖されます。くれぐれも入ってこないでください」
「…勝算はあるのか芹緒?相手は普通のHMじゃないんだろ?」
「……ここが郊外の演習地なら、私に勝算はないでしょう。しかしここなら手はあります」
「……本当だな?嘘つくと怒るよ?芹緒」
「…………嘘ではありません。少なくとも」
「……殴られたいのか?」
せいいっぱい脅してみる。
しかし、芹緒は僕の去勢がわかっているようだった…そして、
「……どのみち、私は行かなくてはなりません。私の予想通りの相手なら、相手はもうこちらを察知しています。ここで逃げれば『水部(もえとりべ)』まで危険にさらされる可能性があります。そしてあの場所ではここほどの地の利がありません」
「……」
「……行きます。」
「……」
そうだけ言うと、芹緒は門の中にスッ…と、音もなく滑べりこんだ。同時に門が動きだし、ガチャリと大きな音をたてて門は閉じてしまった。
「……」
「……」
後には、月下の光に照らされた僕と里中さん、そしてノンちゃんだけが残された。
「……ノンちゃん」
「……できれば、お姉様の言葉に従っていただきたいのですが…」
「……怒るよ?」
「!ちょ、ちょっと明仁君!まさかあなた…むぐ、むぐぅっ!」
「…」
叫ぼうとした里中さんの口を、ノンちゃんが塞いだ。
僕は無言のまま懐から、小さなポケッタブルPDAを取り出した。屋外でメイドロボのメンテに使うやつだ。
「芹緒ほどの演算力がないから汎用とはいかないけど…まぁ何とかなるだろ」
「推定ですが、その機械では一分以内にファイアーウォールにひっかかるかと。」
「中に入れればOKだ。どのみち僕にロボット相手の格闘は無理だしね。制御室を目指すさ」
「…それはお姉様より危険です。相手が隠密行動を基本とする機体なら、制御室の確保は最優先事項のはずですから。」
「芹緒なら、その隙を逃すはずないだろ?」
「……わかりました。ご武運を」
工場の正門にPDAを張り付ける。
個人識別センサーに割り込み信号を送る。電力が生きているなら反応するはずだ。そしてPDAは…
「よし、行けるぞ!」
「……随分と簡単ですね?」
「なに、単純な理屈さ。芹緒は僕の予想通り、従業員コードを偽って侵入してる。という事はつまり」
「……工場は営業中、正規のお客さまと偽れば侵入可能、というわけですか……大泥棒になれますね、明仁様」
「よせやい。だいたい、この方法じゃノンちゃんの言うようにすぐ気づかれるだろ。お客さんのアポなんか実際はないんだから…でもま、この場合警察がとんできてくれた方がいいんだけどね。」
「…わかりました。関係各所にも救援要請しておきます」
「よろしく」
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