[目次]

精霊と転生娘外伝・マリオネット

 転生したら、美少女になっていた。
 
 いやすまん、わけがわからないと思うがそうなんだ。俺は一度死に、そして生まれ変わったらどういうわけか女の子になってしまっていたんだ。名前はミル・ミアルダ。ご立派とはいえないかもしれないが、一応は伯爵家の娘らしい。
 唯一幸いなことには、俺はなかば傍観者だったという事か。ミルが寝ている時などにフッと主観モードになる事もあるが、基本的には傍観者のままだった。ミルは自分の中にいる俺の存在を知ってはいたが、俺の人格や記憶を同じ自分のものだと思えないようで、生まれた時から常に存在を感じ、うとうとした時や夢の中で交流する、みたいな感じに落ち着いていた。
 これは長い目でみれば幸いだった。ここじゃない場所、今でない時の『生前の記憶』なんて持っていても生きにくいだけだろう。だいたい性別が違ってるんだから、女の子同士のキャッキャウフフな世界に巻き込まれて人間不信で孤立とかも勘弁だしな。この世界では記憶持ちとか界渡(かいわた)りなんて連中がいるが、彼らのように自分自身の記憶として認識していない分、何か見えたとしたもミルは気楽にかまえていた。ま、そりゃそうだよな。実際そのせいもあってか、自分たちが本当は二人の人間なのか、実際はひとりなのかすら意識しないままに平和に共存していた。さらにそのおかげで界渡り、つまり異界からの転生者だとバレる事もなく生きてきた。
 
 さて、そんな俺たちだがさすがに魔法の才能がある事を隠す事はできなかった。だから十歳になったある日、普通の学校でなく魔法学校に行かされる事になってしまった。
 これには困った。確かに魔法の練習はこっそりしていたが、いざという時にうまく誤魔化すための魔法を習得していたにすぎない。だから、まっとうな攻撃魔法とかはあまり持っていないし、やる気もなかった。できれば普通の人間として普通に生きるつもりだった。俺には無理でもミルならば女だ。貴族という問題さえクリアすれば男と結婚するのも問題ないわけだし。
 目立ちたくなかった。自分が普通でない事だけは理解していたから。
 ミルはふたつ返事で魔法学校いりを固辞した。だが家長命令で無理やり入れられてしまった。もっと強く言ったほうがいいと警告していたがミルはどうしても父親には逆らえないようだ。過去にも何度かそういう事があったが、その時ばかりはお互い困り果てていた。譲れば譲るほど不利になるとわかりきっているのにそれができない。腹立たしい限りだったが、そこはやっぱり十歳のお嬢様。俺にはそれ以上どうしようもない。俺は過去の残滓で、今生きているのはあくまでミルなんだから。
 いやな予感は現実になった。俺たちの魔力は大きすぎたんだ。魔法の練習うんぬんではない。いや、確かに幼少の頃から密かに訓練してはいたんだけど、そもそも界渡りという時点で詰みというべき魔力量だったらしい。桁が違うんだそうだ。なんてこった。そんな情報を前もって知っていたらもっと強硬にミルを止めたのに。
 界渡りは神殿送りになるという。冗談じゃない、今度こそ何が何でも止めなくては。
 神殿送りについての噂はふたりで調べた事があった。ミルには難しい書物を読み切れないが、ミルの語彙と俺の知識・判断力があれば大人向けのものもある程度読めたからだ。そこには界渡りが過去に教会でどういう役割を果たしているかが書かれていたが、美辞麗句で彩られたその文面は、界渡りになったらやばいですとハッキリ言っているようなものだった。何しろ誰ひとり教会にいったまま家に帰っておらず、場合によっては二度と親に会っていないのである。ほとんどが子供のうちに神殿送りになっているにもかかわらずだ。これをやばいと言わずしてなんという?
 異例ではあったけどミルと夢で協議に持ち込んだ。そこで家族に事情を話すしかない事を強硬的に主張。生まれてはじめて父親の前で俺が前に出た。
「あのな、信じられないかもしれないが聞いてくれ。ミルはあんたらの言う界渡りではない、それは俺のことだ。俺にもよくわからないが、俺たちはそれぞれ別の人格として存在している。そしてミルは俺という存在を所有している事を除けば全く普通の女の子にすぎないんだ。計測されている魔力だって、それは俺の魔力にすぎない」
 父親は眉を寄せたが、しかし話はきいてくれた。
「信じられないか?ならばそれもいい、だが苦言を呈させてもらうよ。どうして娘が魔法学校を固辞した時に理由すら尋ねなかった?魔法学校に行きさえしなければ、ミルは普通に女の子として生きられた。そうすれば俺だって今さら表に出る事もなく、ミルの心の底でずっと眠っていられたんだぞ?ミルの自己主張が弱すぎたのも事実だが、結果的に自分の娘をここまで追い込み俺をひきずり出したのはあんただ」
「ふむ」
「言う事はそれだけだ。ああ、あと一言言っておこう。神殿預かりにした場合、ミルは教団によって人格を破壊されるぞ。ミルに強力な魔法は使えない。当然奴らは奥底にいる俺を引きずり出そうとするだろうからな。つまり、おまえが動かずに娘を見捨てるなら、話ができるのはもうこれが最後だ。俺はお勧めしないがな」
「どういう事だ?父親の私が言う事ではないが、かりに貴様が娘の下に置かれているのなら、娘がいなくなれば貴様が表に出られるんじゃないのか?」
「ふざけんな」
 ムッときた俺は、たぶん眉をつりあげていた。
「ひとつの肉体にふたつも人間の魂が入るとは思うのか?おそらく、ミルと俺はひとつの水晶をそれぞれ別の方向から見ているようなもんだぞ。そして主体はミルの方であって俺じゃない、俺はいわば前世の残り火みたいなもんだからな。ミルの人生を破壊するなんて断じて許す事はできない」
「それが儂の前で出てきた理由か」
「そうだ。ずっとふたりを見ていたからこそ知ってる。おまえは貴族の娘である以前に、このミルの父親だ。魔法学校にやる事は貴族という立場にとっていいことばかりではない。ただおまえは娘の才能を思い、伸ばせるところは伸ばしてやりたいと思っただけだ。違うのか?」
「そうだ」
「ならば娘を助けてやってくれ。このままいけば娘は殺される。ミルという名前をもつこの肉体は残るだろうけど、当の娘は死亡した、ただの抜け殻が教団に残る事になるんだぞ。
 それでもいいというのなら、娘を教団に売るがいい。残念だが俺にはこれくらいしかできない、決めるのは父親のあんただけだ」
 俺はそこまで言い切り、そして引っ込んだ。
 それは賭けだった。ミルの父親は娘想いで、魔法学校はともかく界渡りとして神殿送りとなった場合、まともな人間扱いをされない可能性があるのを当人も薄々知っているようだったからだ。それに賭けた。もしそれでダメなら最後の手段しかないと。
 そして交代したミルに父親は語りかけた。
「お父様?えっと、その」
「うむ。もうひとりのおまえという者に話をきいた。わかった、すぐ教会に儂の名で辞退を申し出よう」
「ありがとうございますお父様!」
 父親は大きくうなずき、家の名も使い教会の招聘を固辞する旨を告げた。娘は悪くいえば界渡りの「なりそこない」であるし無理のできる状態でもないと。無理に力を使わせようとすれば心身を痛めるかもしれず、ひとりの敬虔なる信者として、娘の父親としてそれは認められないと。
 だがそれに対する教会の返事は、とり急ぎ人を寄越すというものだった。
 要するに無理やりにでも連れていくつもりなのが明白だったが、父親はあくまでその点あくまで信者だった。念のために確認がくるだけだろうといって納得してしまっている。
 まずいと思った。
 思ったところでミルと普通に脳内で対話可能なのに気づいた。今までは最低でも眠りかけとか特殊条件が必要だったのに。どうやら真昼間に表に出るなど無茶をしたせいだろうが、いったいなんというタイミングなのかと呆れた。だが有難い事は間違いない、さっそく緊急に頭の中で討議した。
 そして残念だがここまで。教会の者に掴まる前に逃げるしか無いという結論に達した。
 身の回りの軽い荷造りをしようとした。だが俺はさらに、とり急ぎという言葉にもひっかかった。こっちが逃げる事くらい想定済みで、逃がさないような要員を速攻で寄越すつもりなのではないか?
 ミルはまさかと言ったが、国家権力にいい印象のない俺は安心できない。もうここは危険だから身一つで今すぐ退避しろと言うとミルは「いくらなんでも」とさすがに渋る。しかしと焦って俺が急かすうち、そこに知らないメイドが突然に入室してきた。
 うちはそんな大きな家ではない。だから知らないメイドなんて有り得ない事だった。俺は一瞬訝しんだがミルの方が劇的に反応した。メイドは変わった香りを発していたのだが、それが教会でよく感じるものだと看破したようだ。
 即座に対応しようとしたがそこは十歳の女の子の限界だった。相手の方が素早く催眠魔法(スリープ)をかけてきた。ミルはイヤ、助けてと悲痛の叫びをあげつつ眠りに落ちてしまった。
 メイドはニヤリと下品に笑いそのまま俺たちを捕まえようとした。だが驚くべき事に、ミルが落ちた瞬間に俺が主観モードに入っていた。練習していた認識撹乱を即座に無詠唱発動、今度はメイドの方が前後不覚に陥り呆然と立ち尽くした。
 俺はメイドの胸元から教会のペンダントを取り出し、証拠として首にかけ直してやると部屋を出た。変な人が部屋に入ってきて拉致されそうになったと執事に言いつけて走らせる。あとはペンダントを見た彼らがよろしくやってくれる事を信じ、そのまま屋敷を出た。
 十歳の女の子に認識撹乱や幻惑術は充分に高度な魔法だ。つまりこの事実が流れてしまったらもう決定的という事で、とにかく今は逃げるしかない。サイはもう投げられてしまったのだ。
 そのまま町を出た。途中、町のあちこちでナイフやら数日ぶんの食べ物やらを少しずつくすねたが、近くにいると認識撹乱が働いてしまうせいか、特に咎められる事もなかった。
 そもそも、逃げ出す事は以前から最悪のケースとして想定していた。だから色々とシミュレーションしたりこっそり実験もしていた。武器を使った戦闘術は十歳の貴族の女の子にはとても扱えず(あきら)めていたが、その代わりに幻惑や隠密など、危険回避や脱出に特化した魔法を重点的に勉強していた。健康一番と周囲には誤魔化して体力作りは怠らず、またそうした形で護衛付きとはいえ外に出て、いろいろと情報収集も重ねていた。
 街道に出て、小走りに切り替えたところでミルの催眠が解けて交代した。
 脳内会話可能になったのをいいことに、その場で前世の記憶にあるボーイスカウト式の移動方法を教えた。といってもアウトドアの本に書いてあったのを自己流で自転車や徒歩の移動に採用していただけなんだけど、無理をせず緩急をつけながら歩き続ければ現代人の体力でも一日に驚くような距離を移動できるという便利なものだ。ましてや鍛えているうえに荷物の軽いミルなら、落ち着いてやればプロの商人顔負けの移動が可能だろう。
 だが街道を進むうち、何か意識のどこかにビリッとひっかかる危機感をおぼえた。
「まさか、もう気づかれた?」
 いや、気づく事自体はおかしくないと思い直す。しかし相手は教会だし街道は何本もあるわけじゃない。おそらく速攻でこっちへ追ってくるだろう。
 入手していた地図と周囲の地形によると、この街道は山に向かうようだ。そこまでに追いつかれる事はないだろうが、山の街道で追いつかれると事態は最悪だ。それに峠などには賊もいるだろうから、後ろばかり見てもいられない。
 さて、いきなりの選択肢だ。ここでなんとミルの方から森に入るという宣言があった。
 ミルは物理攻撃力をほとんど持たない。森をいくのは本来は危険きわまりない行動だと言える。だがミル曰く「死にたくないよ。でも道具として使い潰される事を考えたら、森で動物や魔獣に倒される方がすぐすむだけマシだと思うんだよ」と返されては俺は言葉もなかった。確かにそうだ。ここは地球ではない、異世界だ。そして貴族のミルは子供とはいえ立派にその覚悟がある。
 わかった、がんばって進んでみようじゃないか。
 そんなこんなで二時間も進んだか。小型でも危険そうな生き物は幻惑で回避しつつ進んできたのだけど、
 魔獣か何かの気配がした。それも半端じゃないレベルの。
 いけないと逃げろと言おうとしたんだが次の瞬間、その気配はフッと途切れた。そして、
「あれ?」
 いつのまにか、俺たちのそばには一頭の仔狼がいた。親の気配はなく痩せている。迷子か?
「よしよし」
 そんな余裕なぞないはずだ。それに痩せているとはいえ仔狼がここにいるって事は、さっきのやばい気配はその親の可能性だってあるじゃないか。すぐ逃げるべきだ。
 にもかかわらず俺たちは……いや正確にはミルが仔に食べ物をやった。幸せそうにパクつく姿は確かに可愛いと思い、一瞬だけだが安らいだ。
 いいなぁ。この仔のように俺たちも獣なら、あいつらなんかに追われずにすむのに。
 そう思った、まさにその瞬間だった。
「あれ?」
 違うと思った。これは狼ではない、いや、そもそもイキモノでもない。何か別のものだと。
「え?え?」
 仔狼が顔をあげた。頭の中に声が響いた。
『獣になりたいか?』
「……なに?」
 違う、これは狼じゃない。それどころか仔ですらない。
 仔狼に似た容姿の何かはうっすらと獣の笑みを浮かべた。
『我が何者か、か?ニンゲンたちは我を獣精霊(ケモノせいれい)と呼ぶらしい』
「獣精霊……ああ」
 聞いたことがあった。確か精霊の一種だけど水とか風とかのアレとは違う特別なやつだっけ。最上位の獣精霊は森の王と言われて、怪獣のように巨大な狼の姿をしているとか。獣の容姿だから怖いけど、加護を受けると森で獣に襲われなくなる。だから猟師や羊飼いなんかは崇拝していたりして、逆に街の貴族などの評価は不当に低いのだという。
 まぁもっとも、教会あたりじゃ森に棲む悪魔呼ばわりだけどな。
 そんな俺たちの内心をよそに仔狼は語る。
『我が見えるという事は素質持ちのようだな。よかろう、我が直接というのは珍しい事だが構うまい。望むなら加護を与えてやろう』
「加護ってまさか」
 獣精霊における加護というのは、いわゆる精霊との契約と同じようなもの。確かそのように覚えている。彼らは一般精霊でいうところの純潔契約というものでしか契約ができないのだという。それは得られる能力の特殊さゆえに。
 実のところよくわかっていない。獣精霊は教会もやたらと敵視しているせいか書物が少ないんだよな。単に契約だけでなく、他にも代償が必要なんじゃないかと見ているんだけど。
 俺の疑惑を感じ取ったろうミルが疑問を投げた。
「契約にはどういう『だいしょう』があるの?……だいしょうってどういう意味だろ」
 ちょっとコケた。語彙になかったのか。
 そしたら仔狼の方が苦笑気味に訂正した。
(うち)にいる界渡りに聞いたのか?まぁいい説明しよう。代償とはつまり、わかりやすく言うと代金・料金が近いかな?我からは加護を与えるわけだが、その代わりにおまえたちは何かを支払わねばならない。そういうことだ』
「そうですか」
『それで質問はそのおまえたちの支払うべき代償だな?うむ、ちょうどいいものがひとつあるな』
「なんでしょうか?」
 うむ、と仔狼はまるで老人のように小さく頷くと、
『おまえは人界の拘束からの自由を欲しているようだ。そして我は、おまえに自由に駆ける獣の姿と脚を与える事ができる。ならば、おまえが支払うべき代償もおのずと明らか』
 そこで言葉を切ると、
『おまえの両足をもらおう。我の加護を受け取りし時から、おまえがニンゲンの姿である時はその膝より下は失われる』
「!?」
 ミルが声にならない悲鳴をあげた。
「待ってください。あ、足をとられたらもう逃げられないじゃないですか!」
『ん?ニンゲンの時といっているのだが?当たり前だが獣の時は完全な健康体で駆け巡る事ができる。でなければ約束の意味がなかろうし、我らも走れぬ狼なぞ欲しくはない』
「え?……え、いやあの」
 一瞬ムッとしたような気配がして、その途端に背筋がゾッとした。ミルも怯えたようで、一瞬遅れてとりなすような言葉を返した。
『ふふふ、そう怯えるな。危害は加えぬし悪いようにもせぬ、これは間違いない。我らとしても、群れが増えるのはめでたい事だからな』
「群れ?」
 うむ、と仔狼は頷いた。
『我らは本物の狼のように獣精霊の群れを作っておる。その群れの中で幼き精霊は育ち、我のように上位精霊に到達すれば、ひとりだちして群れから出ていく。そして出先で自分の群れを作る。それを繰り返すのだよ。
 おまえは猟師や羊飼いたちとは違う。どういう未来を選ぶかは知らぬが、当面は人里に姿を見せぬほうがよいであろう。だからこその足なのだよ。何しろ人間の姿なぞ特殊事情でもない限り当分使いはせぬからな。不便に思う事はまずあるまいよ』
「そうですか」
 ミルは少し考えていたが、やがてゴクリとつばをのみこんだ。
「わかりました。それではお願い……」
『ちょっと待った。ひとつ忘れていた』
 あわてて仔狼が追加した。
『おまえたちの場合、もうひとつ問題がある。そう、魂が不完全だがふたつに分かれている事だ。そのままでは問題の元になるのでな、ここで融合せねばならぬ』
「融合?」
 そうだと仔狼は答えた。
『いずれおまえたちは放置していても自然と融合してしまうだろう。だからそれが少し前倒しされると思えばよい。もちろんだが、新しい人格の障害になるような致命的な記憶は母胎の中と同じように排除される。だからそういう危険については心配せずともよい。だが』
 そこで仔狼は言葉を切った。
『今までずっとふたりだったものが融合するのだ。恐れるなといっても怖かろうし、泣くなといっても寂しかろう。なんといっても生まれる前から常に同席していた片割れが失われるのだからな。だからふたりで決めるがいい、あまり時間がやれずにすまないが』
 そういうと仔狼は黙った。だけど、
「それならかまいません、融合してください」
『話し合いをせずともいいのか?どちらかが消えるのだぞ?』
「必要ありません」
 そうミルは言い切った。
「わたしと彼は今までの人生でいろんな事を話しました。けれど、彼はいつもこう言っていたんです。もし融合してひとりになれるというのなら、ためらわずに自分を消してひとりになれって。何十年も別の世界で生きた自分より、まだ十年しか生きてないわたしに生きてほしいって、いつも、いつも、そういう話題になるたびに彼は繰り返していました」
『融合した結果、おまえでなく裏の人格の方がベースになる可能性もゼロではないぞ?怖くはないか?』
「こわくありませんよ。だって、そうなったらわたしは彼の一部になるだけだわ。消えてなくなるわけじゃない」
『なるほど』
 納得したように仔狼は頷いた。
 ふたりの会話を見ながら俺は苦笑していた。ずっと一緒とはいえ別人格だし、たった十歳のミルが俺をこうまで理解しているとは正直驚きだったからだ。ひとこともコメントのいらない完璧な答えに、俺は思わずためいきをついた。
 そうだそれでいいミル、それでこそ俺たちだ。さぁ、いこうぜ。
 仔狼が口づけを指示し、ミルと仔狼の顔が接近してきた。俺は巨大な顔を、可愛いけどちょっと不気味かなとか不謹慎なことを考えたりもしていた。
 そして、それが俺の最後の記憶になった。

  ◆◆◆◆◆

 金色狼ミルは精霊母ナツメ・ナガサカ同様、正史での取り扱いは非常に少ない。ミルの場合、ひとでなかったというのが正史上での理由だそうだが、これはナツメ・ナガサカ同様に当時の正史編纂者が神聖唯一神教会の旧会派である事が最大の理由と思われる。戯曲によればミルは獣精霊に取り込まれた人間の少女であった。敬虔な教団信徒の家に生まれるが、界渡りである事が漏洩した時点で教会に拉致されそうになり逃走、このおりに当時の獣精霊王、通称『フェンリル』に出会った事でその情けを直接受けたらしい。精霊王肝いりのうえに界渡りの魔力もあり、獣の容姿を手にいれたミルは最初からいっぱしの魔獣なみの強さを持っており、大陸を縦横に駆け巡る未曾有の活躍をする事となった。
 余談であるが、ミルについては少女とされているがいわゆる男の娘(おとこのこ)伝説もある。普通、この手のうわさ話は男性に対して女性疑惑が湧く方が多いもので、比較的珍しいと思われる。ただ有名なプリシラ嬢の魔道研究報告によれば、界渡りで転生前が異性の場合、混乱を避けるために個人的記憶は転生時にかき消されているようだとされている。もちろんプリシラ嬢の研究サンプルだけで全てを語る事はできないだろうが、異性の記憶を持ったままというのは、別々の人格として生まれて生後にそれを融合でもしない限りちょっと考えにくいという。それゆえに金色狼ミルの性別問題については、当時の関係者だけが知る謎という事になっている。
 
「なんで人格まで融合させるんだよ……混乱して困るんだけど」
「その混乱が落ち着くまで、当分ここの巣穴で大人しくしているがよい」
「うぅぅ……そんなぁ」

(おわり)



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