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霊能者と女の子

 話はずっと遡る。先の戦争の前、つまり昭和十四年頃かもう少し前の事。
 とある田舎町にひとりの占い師が訪れた。占い師といっても現在の典型的日本人の想像する占い師像からはいささか異なるかもしれない。それはこんな事情によるのである。
 そも、占いには大きくわけてふたつの系統がある。ひとつは統計学的理論から導かれたもの。いわゆる占星術の類がそうで、歴史の長さゆえに真に統計学に属するかは定かではないものの、現在も改良が続けられている一種の学問である。人間の心の動きは天体の動きと密接に関わっている。何より私たちが暮らすこの星も天体なわけで、紐解けばここいらは実に奥が深い。ここでは告げる者(テイラー)は占い師ではない。むしろ占い師はアカデミックな智恵者に属する。
 そしてもうひとつは、タロット・カードや水晶球といった類のもの。これは占い師の鍛錬に由来する。人間には五感の他にも未解明の未知の感覚がありそれを利用。これらは極論すると霊媒とかそういう世界に行き着く。実際、タロット占いの上級者むけのカリキュラムには「最低限のカードから最大限の情報を引き出す」というものが含まれる。もとよりカード占いは魔術(Witchcraft)の世界への入口でもあり、最終的には「カードがなくともある程度はわかる」世界への到達をも目標にする。言うまでもないがこれはもはや占い師ではない。それは確かにおまじない(witchcraft)レベルかもしれないが魔術師または預言者の範疇であるといえよう。
 念のために書いておくが、こういう能力は別に特殊なものではない。いわゆる「勘のいいひと」「虫の知らせ」「悪い予感」といった類のものを考えてもらえばわかると思う。失せ物を探したり水を求めたりといった原初に近いこういう能力は人間なら強い弱いこそあれ誰しも持っている。そういうものに着目したのがこの手の占術なのだ。決して馬鹿にしたものではない。
 話を戻そう。
 田舎にやってきたその占い師は後者の『占いの看板を出した預言者』タイプの者だった。なかには嘘八百の者もいるがこういう職業は実績があるかどうかが大きく、よくあたる者は当然噂になった。娯楽の少ない時代でもあり、よい評判のたつ者は金持ちとはいかないまでも食っていく事くらいはなんとかなる程度の収入は得られたのだろう。
 とある時計屋の姉妹がその噂を聞き、是非わたしたちも占ってと呼んだ。まさに美人という言葉にふさわしい長女をはじめとし、美しくはないが妹属性バリバリな末妹まで実に四人の姉妹が集まった。さらにボディガードというか監視役というか、長兄もついでにやってきた。
 まずは長女。占い師はじっと彼女を見て「最後でいいですか」と言いづらそうに言った。長女は不思議がりながらも渋々それに従った。
 次に次女。占い師は「貴女は立派な方と結婚し故郷を遠く離れて暮らす事になります」と言った。次女は「へぇ」と疑わしげに頷いただけだった。彼女は科学的な考証を信条とするタイプであまり信用してなかったからだ。
 三女。占い師は「貴女はご両親に近い場所で暮らす事になるでしょう」と言った。
 最後に末妹。占い師はじっと彼女を見てこう言った。
「貴女は波乱の人生を送るかもしれない。経済面と心の幸せが必ずしも一致せず苦労もするかもしれない。
 だけどね、旦那さんにはとてもかわいがられますよ。『奈々よ奈々よ』と大切にされるでしょう」
「……!」
 末妹はまだ、幼女とでも言うべき年頃だった。だから前半の言葉の意味はいまいちよくわからなかったようだ。
 しかし『奈々』というのは当時の姉妹の間では『かわいらしいもの』を意味する言葉だったわけでその言葉くらいは末妹にも理解できた。末妹は大慌てで真っ赤になり、姉たちから口々にからかわれて困ったのだった。
 
 後に彼女たちはどういう人生を送ったのかというと…。
 長女は二年とたたぬうちに病気で亡くなってしまった。占い師が言い渋ったのも無理もない。ひとは生き物である以上『死』には敏感なもの。彼は死相を見てしまったのだろう。
 次女は結婚した人と遠く遥か東国(とうごく)に移り住んだ。また姉妹でもっとも賢かったため教員の仕事なども経験した。それなりに豊かな人生を送ったと言えよう。今も存命である。
 三女は結婚したひとと地元で店を持った。現在は隠居中。
 さて、波乱の人生を送ると言われた末妹だが…
 彼女は『花嫁修行』ではじめた事が過ぎてお茶やお花をひとに教えるような仕事を経験した。一度は結婚もしたのだが結婚直後に相手の方が亡くなってしまったり、何年もたってから再婚した相手も二十年後に仕事の問題が元で自殺。そのせいで多額の借金を抱えこみきつい生活を長く味わったりと、まさに波乱の象徴のような人生を歩いた。
 そんな人生の反面、故郷では女性ライダーの草分けになった。昔は商店が業務用にオートバイを使ったのだが、好奇心旺盛な彼女は速攻で免許をとってきて家事手伝いのかたわらこれを乗り回したのだ。ろくにスーパーもない田舎のこと、赤いバンダナを首に巻き疾走する小柄な女の子はたちまち地元の警察にすら顔の知られた有名人となってしまった。
 さらに彼女には温厚でお人好し、さらにものすごく義理堅いという側面があった。職人気質の父の性格を強く受け継いだのか、それゆえに何処にいっても人脈に恵まれた。今も姉妹でもっとも貧乏なのは彼女だがもっとも愛されているのも彼女であると言えよう。遠方の姉も毎年のように交通費持参で呼んでくれ、ふたりで子供に戻ったかのように悠々自適の老年を楽しんでいる。今の悩みは頼りにならぬ馬鹿息子の行く末くらいのものよ、とは苦笑いもチャーミングなお祖母さんになった彼女の弁である。
 
 多種多様。人生いろいろである。
 
 (2005/6/9)



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